SKY NOTE

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空気と「現実」の裂け目

空気と「現実」の裂け目

よく、「空気を読む」という。私のように一人でいる人間は、空気というものには、あまり関心がない。というのも、それは、人の感情であって、現実ではないことを知っているからだ。空気を読みたがる人は、感情と現実の区別がつかないか、あるいは、曖昧である。

一人でいると、そういう感情としての空気と、現実の空気が違うことがよくわかる。人が素晴らしいと言っているもの、私には無価値だった。ブームに乗って購入されるカード、私には紙切れに過ぎなかった。要するに、紙切れに感情移入することによって価値が生まれている。でも、それは、現実ではない。現実は紙切れだ。

そういうものを見ていると、空気というものが、いかに情緒的で儚いものだと分かる。つまり、客観的な認識において、空気というものは全く役に立たないか邪魔なのである。この現実主義を私は空気と現実の裂け目と名づけた。感情と事実の違いとも言えるだろう。多くの人は、集団に感情移入しすぎている。私は、そんなものには感情移入しない。気持ち悪いから。

実態を伴わないものに、どうして殊更に感情移入するのか、私には理解不能だが、要するにそれは感情移入にすぎないのであって、空気というのは、ロック歌手に熱狂する少女の心理と何ら変わらないのである。私には理解し難い感情だ。空気などというものを大事にするのは、よっぽど、情緒的で子どもじみた考え方をしているのだろうと、私には思えてならない。なぜなら、それは現実ではないのだから、現実ではないものを重視し過ぎることは、夢想であり、思い込みであり、愚かである。

なぜ、そんな愚かな考え方をするのか、理解不能である。理解したくないといった方が正確かもしれない。なぜなら、そういう情緒的な思い込みを美徳とする向こう側に何があるかというと、創りだされた幻想を盲信する愚か者の大群だからである。それはイナゴのように、現実を食いつぶし、滅ぼしていく。そして、後には何も残らない。現実ではないため、正しい認識が出来ない。間違っているため、結果が伴わない。そういうものを重視する。夢想を重視する。それは、現実をコントロール出来ないことを意味する。よって、それらは否定しないと、何も前に進まない。

前に進みたければ、現実と夢想の区別をつけるべきだ。空気は現実ではない。それは、感情だ。中身の無いものを重視して、中身のあるものを切り捨てる。それが出来るのは感情のなせる技、合理的だと出来ない。きちんとした目線で物事を見る。それが出来なければ正しいことは行われない。常に心に公平な天秤を持たず、感情に流されてばかりでは、それを利用するものに踊らされて、良いことは何も出来ない。