SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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優秀な人の評価の仕方は二次元、そうでない人は一次元

学生の頃、学校でよく馬鹿馬鹿と言われた。私の成績は、中の下程度、だから、馬鹿と言われるほど酷いわけでもない。ただ、考え方が違っていた。独りでいても平気だったし、自分の好きなこと、したい事をしていて、他人に合わせないと馬鹿と言われる。

日本というのは、そう言う国なんだと思いつつも、私は好きなものは好きだし、必要もなくいつも他人に合わせるなんて、なぜそんな馬鹿げたことをしないといけないんだと思っていたので、そんなバカなことをしている人たちにバカと言われても、平気だった。

でも、そんな私を馬鹿と言わない人たちがいた。それは、学校でも成績が優秀な人達だ。彼らは私の意見を聞き、意味を理解し、返事をすることが出来た。そして、私よりもずっと優秀なのに、彼らは私をバカだと言うことはなかった。当時の私は、どうしてこんなに優秀なのに彼らは私を馬鹿と言わないのだろうと思った。

大人になって、わかったことは、彼らの評価の仕方が二次元の平面であることだった。つまり、普通の評価というのは、一次元で、一次元のヒモの中で上か下かしかない。だが、彼等の評価の仕方は二次元の平面で、このことについては自分が優秀だけど、他の分野については他人のほうが自分より優秀と、要するに人には得意不得意があるので、それぞれ分野によって、上になったり下になったりする。そういう時に大切なのは、必要なときに協力関係を築けるように常に、相手に敬意を払い、謙虚であることなのだ。

だから、彼等は優秀だけど、劣った私をバカだと言わなかった。優秀故に視野が広く、人を馬鹿だという愚を犯さなかった。それよりも互いに協力し、常に協調していけるようにしていたのだ。大抵、賢い彼等の親もまた優秀なことが多く、その影響で彼等もまた優秀なのだ。そして、その視野の広さが、私のようなものにも敬意を払い、互いに協調できる関係を築く事が正しいと、子供の頃から理解していたのだ。

人より上か下かにこだわるのは、一次元の評価軸にこだわった視野の狭い考え方である事を彼らは理解していた。そして、それが分かっていない奴ほど、人を馬鹿といい、自分の優れた所で威張り散らしたりする。でも、それは狭い視野でしかなく、状況が変われば、彼らが私に負けることもある。多次元的な視点で見れば、状況が変われば、上になったり下になったりするような状況では、威張ったりするのは、実に愚かなことだ。ましてや、自分は他人より優れていると一生懸命になっても、全ての面において他者に対して優れた存在になることは、不可能であるから、そこからすると、謙虚であることが最も賢明なのである。

そして、他人の優れている点は褒め称え、劣った部分については、励ましたり、必要とあれば諭すこと、それが優秀な彼らのしていたことだった。そして、そういう多次元的な評価の中では、選民意識など存在し得ない。非常に公平で平等な社会が生まれる。私は、そう言う多次元的な視点を子どもたちに教えたい。そうすれば、世界に戦争や貧富の差はなくなるであろうから。そして、その広い度量のある世界で平和で幸せに暮らせるであろうから。