SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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想定を越えた事態であっても、現実ならば信じる私

最近、思うのですが、人は自分の理解を越えた事態について信じようとしない傾向がある。しかし、最近の実際に起こっている事態が、基本的に想定を超える事態なのです。そこで私が、それをどのように解釈していったのか、順をおって説明したいと思います。

例えば、集団的自衛権解釈改憲の問題について、私が考えるに、集団的自衛権容認とは、基本的に日本がNATO北大西洋条約機構)に入るようなものだと考えています。つまり、アメリカをリーダーとする先進国の軍事グループの一員となり、中東やアフリカに軍隊を送って戦争をし、現地の人々に困窮と死をもたらす。ある意味、アメリカをリーダーとする世界の死神になるということです。

自分が最初に理解できなかったのは、今から11年前のイラク戦争の際のアメリカの戦争の口実です。戦争とは人が殺される事態なのですから、その戦争をする理由には、最大限の厳密性がなければいけません。しかしながら、十分な確証といえるべき証拠を示さずに、アメリカは戦争をしてしまった。この事が、私がアメリカという国の正義に大きな疑問符がついた時でした。それ以前のベトナム戦争の時でもそうだったのですが、第二次イラク戦争の時はもっと酷く、十分な証拠もなしに、仮定の論理に基づいて戦争をするという暴挙をやってのけた段階で、何かがオカシイと感じたのでした。

その後、破壊されたイラクの復興事業をアメリカの大手建設会社(ベクテル社)が受注したということで、ナルホドと思いました。つまり、戦争によって破壊されたイラクに対して、そのオイルマネーを用いて、アメリカはイラクから金を巻き上げたんですね。戦争という人の死が係る状況を、単なる金儲けの手段として利用している段階で、これを実行している人間たちの品性が私が想定しているよりもはるかに低い人種が、世界には存在しているという事をまざまざと見せつけた現実でした。

私が、そういう最低の人種が存在していると思えたのは、アメリカの株式市場を見ていたからです。株価を上げるために、数万人の人間をリストラして、経営者が賞賛される社会がアメリカです。つまり、金が主人で人間が、その下僕というのが、アメリカという社会の現実です。日本からは想像できないかもしれませんが、アメリカはそういう国です。資本家が王のように振る舞い、コントロールしている国といったほうが正確かもしれません。日本のように同じ文化伝統が2000年も続いている国からは想像もできないかもしれませんが、彼等には、基本的なモラルというものがありません。モラルというのは、その国の文化伝統が、そのバックボーンとなっているのです。よって、歴史の浅く文化も未熟なアメリカという国では、力が正義になりやすい。そして、現代における力の源とは、マネーです。

つまり、アメリカという国は、その歴史が浅いがゆえに基本的なモラルが脆弱でマネー至上主義になりやすいのです。そして、それが何のブレーキもなく「自由」に機能するのがアメリカという国です。だから、ある面で戦争をビジネスにし、そして、金儲けをする可能性は捨てきれないと思っていましたが、それでも、公共的な国家という存在が、そのレベルにまで落ちるとは、私が想定できなかったのは、恐らく私が日本人だからかもしれません。でも、イラク戦争で実際に見てしまったんですね。アメリカが最低のクズに落ちる姿を、そして、それに何ら恥じること無く行動できてしまうということに。

つまり、アメリカという国は、人の命を何とも思わない人間が国を動かしている。実際にイラク戦争では、そのような行いを実際にしているわけです。そして、現在、日本にTPPが来ているのですが、そのTPPの内容は酷く、4年間は交渉内容は秘匿、普通、フェアな国際条約において、主権者の国民に対して交渉内容(部分的にではなく全内容)を知らせないという事はあり得ないことです。つまり、TPPの交渉プロセスそのものが民主主義の原則から逸脱している。これ単独でも、信じられない事態なのですが、それが実際に起きていて、進められている実態を見るにつけ、私たちの想定を超える事態が起きている。しかも、それを実行しているのは、イラク戦争を起こしたアメリカ、そして、恐らくは、人の命をどうとも思わない、品性最低クラスの人間が、あの国を動かしている事実から鑑みれば、非常に強い憂慮の念を持ってTPPを見なければいけないのです。それは、彼等が金のために命を無視する事を現実にやったからこそなのです。

つまり、私が理解を超えているというのは、日本の文化が2000年の間に培った文化がもたらす理解なのです。しかし、そういったものが全くないアメリカを動かしている特定の富裕層の考え方について、私たちと同じであるという確証はなく、むしろ、全く違った異質な存在であり、それらは非常に警戒すべき危険思想を持った人間たちであることは、その所業から見て明らかです。

よって、私は根拠なく、彼等を見ているのではありません。むしろ、彼等の行動が理解できないからこそ、そのあまりの異質さに驚き、そして、それが現実を動かしているという事実に対して、あまり、楽観的になれないというのが私の正直な感想です。つまり、現実は、私の想定を超えていますが、それが実際に世界で動き、機能している事実を私は無視することは出来ないのです。ですので、私は自分が想定できないことであっても、それが実際に行われていれば、認めるのです。そして、それこそが現実主義だと思っているのです。