福井地裁で、大飯原発3,4号基運転差し止め訴訟で、住民側が勝訴し、大飯原発運転差し止め判決がされた。
NPJ:大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨
http://www.news-pj.net/diary/1001
非常に人間本位の判決文であるので読んでいて、その判決の原点である日本国憲法というのは、つくづく素晴らしいなと再認識した。この憲法の人間本位の精神を己の狭量な発想で、ねじ曲げようとする安倍晋三は、最低な政治家だと感じる。それで判決要旨を読んでいく
1.原発250km以内の住民が
主文
- 1 被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。
- 2 別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。
- 3 訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
この主文で、裁判所は250km圏内の訴えを認める。(この250kmというのは、大体、福島第一原発と東京の距離である)これによって、大飯原発3,4号機の再稼働については、裁判所から待ったがかかった。関西電力は5月22日午前、名古屋高等地裁に控訴し、判決は確定せず、再稼働は、判決が確定するまで法的には可能になるが、非常に明快な判決であるため覆すのは難しいとのこと、ただし、高裁の判決は2年くらいかかるという。
NHK:大飯原発訴訟で関西電力が控訴
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140522/k10014638581000.html
判決理由については、「個人の生命と生活に関する利益」である人格権をベースにした非常に明快な論理で関西電力の主張をバッサリ切って捨てている。
河北新報:原発差し止め判決/再稼働ハードルは上がった
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20140523_01.html
大飯原子力発電所再稼働禁止判決に「経済効率より生命重視」評価
http://japan.hani.co.kr/arti/international/17431.html
樋口英明 裁判長
- 「日本の法制度の下では人格権を跳び越える価値はないので、人格権を侵害する具体的恐れがある場合には侵害行為を禁止してほしいと請求できる」
これは、経済的効率性が、人間の生命と直結する「人格権」を越えられないという明確な基準を示した画期的判決と言える。それに基づいて
「原発は電気を生み出す一手段に過ぎず、人格権よりも劣位にある」
とし、原発が人格権を侵害する恐れがある場合には、その侵害行為を禁止することが出来るという内容になっている。その侵害する具体的な理由としては...
- 冷やすこと、閉じ込めることに限界がある。1260ガルを超える地震によって、メルトダウンに結びつく。このような揺れにおそわれたら、対応できない。また、そのような地震を予知することもできない。大飯原発に1260ガルを超える地震は来ないという保証はない。
原発の耐震性能と、最近の地震の揺れの強さ(ガル:この場合、揺れの加速度を示す単位)
福島第一原発 : 600ガル(設計基準:実際には460ガルで壊れた)
ストレステスト : 700ガル(近年の地震に対し、あまりにも過小な基準)
阪神大震災 : 818ガル(1995年)
大飯原発 :1260ガル(3〜4号機 耐震性能)
新潟県中越地震 :2516ガル(2004年)
東日本大震災 :2933ガル(2011年)
岩手・宮城内陸地震:4022ガル(2008年:観測史上最高/世界最大)
①〜④は、要するに東日本大震災のような大規模地震が大飯原発のある若狭湾でも起きる可能性がある。そうなった場合、その地震動は1260ガルを超え、対処できなくなる可能性を指摘。
- 原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。
再稼働が検討されている大飯原発がメルトダウンした場合...(風下に数千万人がいます...)
福島第一原発の時は、風下が海だったのは不幸中の幸いでしたが大飯原発の場合違います
この図を見れば分かる通り、近畿(2100万人)、中部(2357万人)、関東(4243万人)、北陸(544万人)と日本の大人口地域が風下にあります。これらすべてが放射能に汚染されたら、日本の人口の70%(9044万人)が被曝します。
このように、福井地裁の判決は、現在の日本の地震の大きさに対し、基準事態がそれに対して劣っていること、また、それを上回っていたとしても原発事故は甚大な被害が想定されるため、その数倍の余裕度を持って対処するべきなのに、それができてないことなど厳しく指摘している。