SKY NOTE

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競争の負の側面

競争の負の側面について
競争が、社会を活性化し、よりよい生活をもたらすと信じ、多くの日本人が、その逆の状況に直面しているのを見て、実際に起きていることを元に競争について改めて考えてみることにした。

まず、グローバル競争におけるコスト競争だが、最も低いコストで生産できる市場に引きずられる傾向があり、それらの国では、労働基準法など、人々の待遇を改善する制度が、あまり整備されておらない為、劣悪な労働環境と低賃金で働いている。本来、経済は人々の生活を豊かにするためにあるのだが、現状の経済は、逆に貧しくしたり、破壊したりしている。そのような人々の時間と労力を過剰に奪う搾取経済によって、現状の競争環境では、不幸の拡大再生産が行われている。

これは、個々の地域における調整能力をグローバル競争という世界平均化という津波が破壊しているためである。本来、自由というのは、そう言う個々の調整能力があることなのだが、グローバル競争では、それらは否定される。ある1つの標準に全体が従うというのは、全体主義であって、自由主義とは根本的に異なる。つまり、グローバル競争の実態は、全体主義経済と定義できる。それも、コストという一つの尺度によって支配されたもので、その結果多くの人々が、そのコストを下げる方向に競争をし、結果として、低賃金と劣悪な労働環境に縛り付けられることになる。つまり、それは全体主義によって個々の自由が奪われた奴隷労働であり、その帰結は不幸である。

つまり、グローバル経済とは、全体主義経済であり、それを、全く逆の「自由」という言葉で言い表していることが根本的な問題なのである。実態は自由でもなんでもなく、全体、つまり、グローバルな1つの帝国のもとで、全てを決済するというのが、グローバル経済の本質である。そこには、人々の幸せを担保するような懐の深さはなく、単にコストであらゆるものが図られ、そして、暴力的なまでの統一化。そうやって多様性を失った社会は、基本的に貧しいのであり、豊かとは言いがたい。つまり、グローバル競争とは、正のものを平均化によって負に変えてしまう競争といえる。多様性のない貧しい世界に収束していく、それがグローバル競争の末に現れる世界の姿である。

この不幸でしかないグローバル競争がなぜ、進められるのか、それは、この考え方は支配者層にとっては、社員の待遇に苦労することのない便利な方便だからである。競争といえば、それに勝たなければ生きていけないと考えることで、ありとあらゆる労働者の権利を奪い取り、最終的には昔の奴隷と貴族のような二極化した社会に収束する。経済貴族という古くて新しい特権階級が生まれ、その貴族たちに都合のいい世界がグローバル競争という方便なのである。言ってみれば、昔の貴族制度が復活したということなのだ。昔の貴族は戦争によって、自らの立場を正当化したが、今の貴族は、どれだけ儲けたかで、それを正当化する。その過程で、多くの市民は多大な犠牲を強いられるというのが、庶民の現実なのだ。

過去の貴族社会の崩壊は、そういう二極化した社会で苦しんだ市民が蜂起し、貴族から権利を奪い取り、議会を作って自分たちの権利を民主的なプロセスを通じて正当化し、庶民のための経済を実現してきた。そうやって人々は、労働者の権利を勝ち取ってきた。しかし、今また新しいタイプの貴族たちがグローバル競争という方便を伴って復権してきた。彼等は、庶民を1つに束ねていたマスコミを広告費で支配した。つまり、スポンサーである。その結果、庶民のために記事を書く記者は、現場から切り離されていった。そして、多くの国々で不誠実な報道が行われるようになり、庶民は分断され、以前のような力を発揮できなくなると同時に競争という圧力にさらされる中で、自らの権利を、一つ一つ、新しい貴族たちに献上する事になった。その総仕上げといえるのがTPPを始めとする自由貿易協定である。台湾の立法院占拠を見れば分かる通り、それらは国の権限を経済貴族に明け渡すものであり、決して競争を優位に運ぶものではない。むしろ、移民による賃金低下によって国の経済を弱体化させ、相対的に経済貴族の権益を最大化するのが、その主たる目的である。だからこそ、台湾では学生が、立法院を占拠し、それを多くの人々が支持しているわけだ。

 台湾:多くの市民が集まり、中国とのサービス貿易協定に反対している
 

 台湾:不誠実な報道をするマスコミの車に大量の抗議の付箋が貼られている
 

つまり、新たな貴族が、庶民が築き上げてきた議会制度を経済の論理でまるごと、(法制度の改定によって)乗っ取ろうとしているのが、現在すすめられる自由貿易協定の実態である。それはグローバル経済に基づいた全体主義経済国家であり、個々の国々の自由を認めるものではなく、単にコストのみが最優先される社会、それが新しい秩序ということなのである。しかし、それは安ければ安いほどよいため、搾取の最大化が正義となり、それは即ち、人々の奴隷化を促す。それは要するに過去の小作人が地主に搾取される社会がまた復活するという事なのである。今回は農地ではなく、生産活動全般が、その対象となり、それらを所有するものに対しては、規制がなくなることで果てしなく自由であり、それをもたざるものには、著しく不自由という世界が、TPPなどの自由貿易協定後の世界なのである。搾取を防止してきた規制の多くが自由貿易協定の中で撤廃を要求されていることからもそれは明らかである。台湾の学生たちは、それに反対しているのである。競争の名の元に私達は、権利を奪い取られ、二極化した社会に、今また戻ろうとしている。

では、どうすれば良いのかというと、食料、資源、エネルギーを自給し、生産活動を独立させることで、個々の国の独立性を高め、全体主義的経済に対して抵抗する必要がある。そして、その要となるのは日本の技術なのである。もし、そういった技術を世界に広めることができれば、日本は、民主制度を救った国として歴史に記されるだろう。