SKY NOTE

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デモに参加しない人の心理

3月2日の東京新聞の記事で、いじめに対する考察があった。非常に的を射ていると思ったので、紹介する。

関西学院大学 貴戸理恵 准教授

まず、冒頭でイジメというのは、なくならない、強いものが弱いものを虐げるのは本能という主旨の説明があった。そこで考えられるのは、イジメが成立する状況が問題だということだった。というのは、一般社会において暴力を使えば警察を呼ばれて捕まる。しかし、学校という閉鎖環境では、そういうものがなく、同時に多くの傍観者の存在が、イジメという状況を成立させてしまうのだという。

彼等は生存戦略として「いじめはある。ならばできるだけ有利な立場に立とう」

という選択をする。この心理が加害者や傍観者へと個人を導いているという。つまり、自分だけは助かりたいという心理が、加害者の暴走を許し、イジメという状況を成立させてしまっている。

この記事において、貴戸准教授は、過当競争が激しすぎて、その原因の新自由主義を何とかするべきだという結論を導いている。それについて、自分もそういった側面も感じるが、同時に家庭教育の結果とも見ている。特に母親の影響が強いと思う。日本では自分に類が及ばないように、そういう物を避けるように教える。しかし、欧米では、「誰が強いかではなく」「何が正しいか」という事を優先しろと教えられる。だから、「弱者を救わない奴はクズ」という扱いを受ける。また、昔の日本でもガキ大将がいた頃は、上に立つ人間が、下のものの争いの仲裁をするなどして抑止していた。このことから、いじめを防ぐ手段には多様性がある。先輩など上位者の仲裁、連帯による抑止などが考えられる。

 SKY NOTE:勝敗よりも、何が正しいかが重要
 http://d.hatena.ne.jp/skymouse/20111002/1317489440
 この記事では日本の家庭教育の問題点について述べている。

ここで、デモの話になるが、抗議運動を避けるように通り過ぎる人がいる。そういう人は、自分を有利な立場に置きたいと思っているのだと思う。つまり、デモに参加してしまうと、政府の粛清の対象になったりして危険だと考え、なるべく関わらないようにしていると思う。つまり、政府はいじめっ子であり、庶民は、さしずめ、傍観者といじめられっ子に分断されている。この分断こそが独裁を許してしまっているのだ。本当にしなければいけないのは、連帯である。

なぜならば、独裁者は庶民を分断することによって、段階的に独裁を完成させていくからである。それを防ぐためには、市民は連帯し、同胞に対する理不尽な行為に対して厳しい姿勢で望むことが大切なのだ。そうでないと、徐々に権利を奪われて、最終的には全体が独裁の渦に巻き込まれてしまう。それが歴史からみた現実であり、この現実から目を背ける事こそが、独裁者の術中にハマっているといえるのである。

ここで、ナチスドイツの暴走について、書かれたマルティン・ニーメラーという方の詩を紹介したい。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は共産主義者ではなかったから

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
 私は社会民主主義ではなかったから

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は労働組合員ではなかったから

 そして、彼らが私を攻撃したとき
 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

このように、ナチスは最初、共産主義者を弾圧し、その次に、社会主義者を弾圧、その次に労働組合を弾圧し、最後には教会すらも弾圧した。最後のマルティン・ニーメラーという方は、教会の牧師だった。本来、自分の味方になるはずである人間を自分とは関係ないと思って切り捨て、徐々に独裁が進んでいく様子が、この詩にはとてもよく現れている。

マルティン・ニーメラー

歴史が教えているのは、ファシズムが始まった時、自分には関係ないと思って隣人を切り捨てていると、それが自分の番になった時、仲間がいなくて困ったことになるという事なのだ。だから、特定秘密保護法など、市民の言論の自由を封殺するような法律に対しては、厳しく反対していかなければいけないのだ。それが大きくなり、手に負えなくなる前にやる必要がある。それはまるで、伝染病のパンデミックを防ぐのと同じで、スピードが重要になる。だから、皆さん関係ないと思って、避けたり、無視したりしてはいけません。それをすることは最終的には自分の首を絞める事になると、歴史は私たちに伝えています。今するべきは、「傍観」ではなく「連帯」です。

例えば、ホワイカラーエクゼプションという年収800万円以上の人の残業代をゼロにするという法案について、自分は800万円も年収をもらっていないから関係ないと思ってはいけないわけです。それが400万円になったら大変だと思って、抗議することが大切。ファシズムが段階的に広まっていくことを知っていれば、それが拡大解釈され、自分にも累が及ぶと考えるのが現実的です。そして、現実的であることが、正しい判断を促し、それが結果としては自分たちを守ることに繋がるのです。