SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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日本の支配者はマスコミである

自分は、3.11以前まで、このブログでは、輝かしい未来について書いてきた。だが、3.11後になって、その前提となる自由な社会が失われていくのを目の当たりにして、それを何とかして、防ぎたいと思って、ブログの内容が政治的なものになってしまった。だが、その試みの多くは失敗している。この問題を打開するためには、非常に高い表現力が必要なのだ。(より正確に言えば思いやりも必要、だけど、自分は、そういう人間が心底、嫌いなので、思いやるという気持ちが持てない)

というのは、一部の人だけに伝える内容ではなく何千万、何億人の人達を説得する必要性が生じてしまっているからだ。特に日本の人々について、しかし、多くの人々は、正常性バイアスの中にいて、現状が異常であることに気づかない。多分、海外に行って日本の外から英文のニュースを読んだりすることができれば、その認識は変わるだろう。あるいは、科学知識があれば、そこからウソが分かる。

そういう人間が増えた頃の話をすることにする。私が子供の頃、危機感を感じたのは、能動的意識が摩耗していく人々だった。周囲の状況に無批判に同化し、自分の意志の存在を恐れるような習慣を持った人々だった。大人になって、そう言う人達が社会の過半数以上になる事が民主主義社会において致命的な欠陥になりうると危機感を感じながらも、まるで大きな川に流されるように、その状況をどうにも出来ずに今まで来た。

そして、来るべきものが来たというのが、現状である。つまり、能動的意識を持たない人々は危機を危機と認識せず、同化意識の中で、状況に一方的に流される方向に向かっている。テレビや新聞が創りだす情報に対して、疑いもせず信じる人間が70%もいる。つまり、テレビや新聞を支配できれば、日本人の70%は支配できるということになり、それは民主主義国では、国自体を支配できる事と同義である。

実際、テレビが指し示す政党や政治家が選挙で勝ってしまう現状は、危機的といえる。つまり、そのようにコントロールされやすい状況では、こういう算段が出来る。日本を支配するのに、日本全体を支配する必要はない。主要な報道機関を支配できればいいのだ。

この状況において、日本人自らが自分たちの権利を守ることが出来るかというと、不可能である。自分の意志を持たない人が厄介なのは、自分が意志を持たないロボットだという自覚がないことである。自分は他の人と同じだと思って満足するようでは、正に自己の意志が摩耗し、崩壊していると言っても過言ではない。自我の弱い人間は支配しやすい。そして、民主主義社会で、それが過半数になると、そういう人間を操作できる人間がこの国の支配者である。そして、それを操作している人間は、マスコミの人間なのである。

そう言う人間を「テレビの見過ぎ」「本の読み過ぎ」と揶揄しているような時期(2〜30年前)は良かった。それは、正常な自我のある人達が過半数いて、それによって社会通念として他者に影響されすぎない様に気をつける姿勢があった。だが、それが壊れたのは90年代で、あろうことか、「自由」という言葉を使って、そういう自我のある人達を否定し始めたことが問題だった。つまり、自我を持たない異常な意識をもった人たちが、自分たちの自我の欠落したロボットのような価値観を、自由の名の元に正当化したのだ。つまり、自我のないロボットになる自由を正当化し、他の人達に押し付け始めた。無茶苦茶ですな。自由ではないロボットになる自由を認めろと言い出したわけだ。

これは、無茶苦茶なことが行われていると思ったのだが、それから20年の歳月が流れ、そう言う矛盾が、3.11後、ハッキリと現れた。恐れていたことが起こってしまったと言う他ない。異常な人たちが、異常な考え方で、異常な政府を無批判に支持する社会が生まれてしまった。そして、それを創りだしたのはマスコミである。

私が、自我を持たない人が嫌いなのは、彼らは、他人の自由を認めることができないし、むしろ、他人に同化という名の抑圧行為を正義として他者に要求してくるからである。つまり、他人に、自由ではなく、抑圧を強いるので、私は嫌いなのだ。例えば、絆という言葉なのだが、真の絆というのは、お互いが想い合うことであって、相手に自分の考え方との同化を求めることではない。このように自我の欠落した人間は、同化していないと不安で仕方がなく、他人に抑圧を強いる。非常に心の狭い、異常な人たちなのである。
 
90年代に、抑圧を自由の名の元に他者に強要する人間が増えたのは、いかに頭がオカシイかというところなのだが、彼らは同化していることが正しいことなので、その論理的な矛盾に気づかない。自由を守るためのルール、他人の自由を奪わない。そのために必要なことは、他者の自由を奪うアンフェアな事を認めないことも含まれる。しかし、今の日本人、それをきちんとやってない。なぜなら、同化していれば、それが正しいと勘違いしているからである。

他者と同化してれば、アンフェアだろうがなんだろうが、認めてしまうようなロボットのような意志しか持たないのであれば、自由を他人に奪われるのは、時間の問題である。今年は、特定秘密保護法で市民の言論の自由、国家戦略特区法という形で労働の権利を奪う法律が制定された年だった。来年2014年は、それらが実施される年になりそうだ。自由のない国へ、どんどんなっていってしまう。それもこれも、同化していれば、それが正しいと無批判に受け入れてしまうロボットのような意志しか持たないからである。