SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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最近、書くことが思いつかないので、普通の日記を書いてみる。

最近、書くことが思いつかないので、普通の日記を書いてみる。

義父の家系は、天才の家系だったのだが、天才のくせに、出世頭というか、普通の一般人と同じような人が多かった。そこで、その義父の親戚の中でおそらく一番出世頭になりそうだった人の名前をググってみたら、某一流企業の法務部にいた。東大の法学部を出たというから、ググったら出てくるだろうなと思ったが、実際に出てきた時はびっくりした。ついでに、私が毎週、金曜の霞ヶ関のデモへ行く途中、その会社のあるビルの前を通っていたこともびっくりした。履歴には、同姓同名、生年月日も書かれていたので、間違いないと思った。意外にも近いところに、人とというのはいるものかと思い、そのめぐり合わせを不思議に思った。

あの家から出た今はもう自分とは、関係ないのだけど、弁護士になった彼に特定秘密保護法についてどう思うか聞いてみたいと思った。ちなみに今でも覚えているのがオセロをやった時、年少の彼にコテンパンにヤラれ、非常にナーバスになった事を思い出す。そういう人間(DNA)は、自分たち凡人とは種類が違う人種と思っていれば、あまり腹が立たない。だが、年長者が年少者に負けるのは、なかなか、きついのだった。

Google Mapsで見ると非常に立派なビル。これがエリートのオフィスかって感じのビルだった。母にそれを話すと「くやしい〜」と言い出したので、あの家がいかに特殊なのかを説明して納得してもらった。私の場合、不思議と悔しいとは思わない。なぜなら、別の人種だと思っているから、同じレベルだと考えていないので、違うという認識で片付けてしまっているのだと思う。

私がよく、義父のことを天才だと言っても、それが天才だと証明する実績というか地位というかが、あの家の家系には乏しかったのだが、彼のいるポジションが、それを証明したといえる。そういう意味では、自分の認識は間違っていなかったと証明されたようで、嬉しかった。

頭の良さと社会的地位は、必ずしも比例しない。冒頭で紹介した彼の場合、幸運にも比例しているのだが、それは東大を卒業したという学歴と関係すると思う。義父の場合は戦争で家が貧しくて子供を大学へ行かせることが出来なかった。頭が良くても、それを活かす場所というか、世間に認められる場所がなかったのが義父、それを自ら創りだす社交性も義父にはなかった。

社会的地位は能力というよりもブランド(信用)によって決定される傾向がある。信用と能力は違うのだと思う。社会的地位という側面で見ると、学歴を獲得するというのは、これだけ能力がありますよっていうブランドを獲得することなんだと思う。彼が一流企業の法務部に行けたのは、その能力が高いからなのだが、それを証明する学歴がないと、彼がいくら優秀でも、誰も彼を認めなかっただろう。

能力と社会的地位を比例させるためには、その間にある信用の獲得が重要なのだと思う。つまり、逆に言えば、誰が見ても分かる実績(信用)があれば、学歴なんぞ社会的地位を獲得する上では関係ないといえる。教養という点では勉強は重要だけどね。

つまり、彼は能力の「見える化」に成功し、社会的地位を獲得したといえる。