SKY NOTE

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天皇陛下という存在と山本太郎議員の手紙

日本という国を語る時、天皇という存在は特別であり、単に政治的な意味というよりも、この国のアイディンティティに属する問題である。日本には、特有の伝統文化があるが、その中心にあるのが天皇という存在であり、精神的統合の象徴だと自分は考えている。

もし、天皇という存在がないと何が起こるかというと、文化の中心を失った日本は、自国のアイデンティティの定義が曖昧になり、アメリカのように単なる経済で何事も判断する経済合理主義的な国になるだろう。

そういうこの日本の精神的中心とも言える天皇という存在は、特別なのだ。昭和天皇の生きていた時代、休日になれば、日の丸が家々にはためていた。子供の頃、私はセレモニーの一種だと思っていたが、要するに、天皇という存在を通じて、この国というは、まとまっているのであり、その統合の象徴として、天皇家というのは特別なのだ。

徳川幕府時代は、今と同じように天皇には実権がなかったが、明治維新の時、天皇に実権が渡される。でも、実際に政治を取り仕切っていたのは、薩長連合であり、天皇ではない。天皇というのは、この国の統合の象徴であるが、実権は、時の政府にある。実権のない天皇に敬意を持つのは、それが政治制度ではなく、精神的統合の象徴として存在していることへの敬意といえる。それがなくなれば、日本が中心を失ってしまうからである。

結局、この国というのは、政権が変わっても、最終的には天皇という中心に人々が集い、そこから、自分たちの新しい道を示すという形が、昔から、この国の伝統なのである。そうやって2000年くらいやってきた国なのだから、そうそう、その感覚が変わるとは思えない。

山本太郎議員の手紙は、そのコアとも言うべき天皇に、今後の日本の新しい道を示したものとして自分は見ている。彼が手渡した手紙の一部から見て取れるのは、「目の前のお金の為に...安全基準を設定」とある。つまり、原発のような単純な経済合理主義ではなく、人のための政治という方針を示したものといえる。

 
つまり、この国の中心に、そういう方針を伝えたという事になる。そして、中心に、そういうものが伝えられたと、多くの人々が、それを知ることになる。そういう意味では、エポックメイキングな事になるのではないかと思う。この国の歴史、伝統からして、そういうものなのだと思う。

明治維新では大政奉還、終戦の玉音放送で日本は変わった。日本が変わる節目に天皇という存在は欠かせない。天皇という中心を介して、この国全体の方針が変わる。それが日本という国なのである。天皇に政治的実権はなくても、その発言力は、特別なものとなる。今回のことで、天皇陛下は何も言われないと思うが、それが伝えられたことのみでも大きな意味を持つ、それが日本という国にとっての天皇の存在の大きさであり、政治家達が、それを恐れて山本太郎議員を叩くのは、ある意味必然なのだと思う。しかし、この流れは始まったと感じる。

これから特定秘密保護法などの悪法が、市民の知るところとなり、安倍の化けの皮が剥がれるようになると、相対的に山本太郎側に人々の目が向くことになる。自分は、その境目の時期にこの手紙事件が起こったので、これがターニングポイントではないかと思っている。恐らく後世の歴史には、この手紙事件を境に、日本が変わったと記されると思う。なぜかというと、この手紙がこんなにも騒がれ、人々の興味を誘うという事自体が世の中の流れを、動かしているからに他ならない。

そして、その流れは、日本という国を次の方向へ位置づけていくものとして、流れていくのではないかと自分は見ている。