SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

国家という道具に使われる国民:秘密保護法

私の国家感は、民主主義を標ぼうする国家は、国民主権を実現する道具である。故に愛国という概念はない。たしかに便利な道具を愛するという観念はあっても、国家を擬人化し、愛するという姿勢ではなく、あくまでも道具として見ている。なぜなら、民主制度自体が国民を主体とし、それを実現するためにあるのであり、主従の関係が国民が主で、国家が従である時、それは、人間である国民が主体であって、制度やシステムという人間でないものは、それに従属するものだというならば道具という観念の方がしっくり来るからだ。

だから、その道具である国家を擬人化してしまうと、何が起こるのかというと、擬人化したものの意思を尊重しなければいけなくなる。制度やシステムなどというものを擬人化して愛するということは、つまり、その制度自体を愛してしまうことであり、それは、人間様が人間ではない道具に一部従属してしまうことになる恐れがあるのである。それは、戦中の「一億総火の玉」など、国家を主体とした考え方がいかに非人道的で、いびつな発想をもたらすかは、私の国の歴史が証明している。あの歴史を繰り返さないためには、国家という名の制度やシステムを愛してはいけないと思う。システムや制度は、あくまでも道具と割り切って運用し、その道具が当たり前に機能するようにメンテナンスを常にするべきであるというのが私の考え方。

そういう視点で、特定秘密保護法を見ると、明らかに道具であるに過ぎない国家が意思を持って秘密を持ち、それを主人である国民に秘匿するという。基本的な国民主権の主従の関係が逆転している関係が見て取れる。これを安易に認めてしまう人は民主主義という制度自体を理解していないし、無知だと思う。封建社会の認識が抜け切らない未開人と言っても良い。ある意味、SFで出てくる。あらゆる決定権を中央コンピューターに与え、それで人類が危機に陥るシナリオに似ている。そのような決定権、権限に類するものは、道具であるものに与えてはいけないのであり、あくまでも、そういう権限は主人である国民が有するものであって、それを道具でしかない国家には与えてはいけないと考えると、考え方としてはしっくり来る。そう言う意味でも国家とは国民主権を実現するための道具であると考えることが国民主権を理解する上では、正しいと自分は思う。