SKY NOTE

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半沢直樹を見た

世の中で半沢直樹というドラマが話題になっていると聞き、遅ればせながら見ました。アレがなぜ面白いのかというと、それが武士道だからです。あのドラマを否定する人たちは、グローバルだとか、ひとつの組織に縛られる狭い視野などと言っていますが、半沢直樹というキャラクターの目的と哲学からすると、そんなことは関係ないのです。

彼のやろうとしている事は、欧米的な個人の確立ではなく、自分の過去に対するケジメなのです。つまり、武士の世界の仇討ちが目的なんです。だからこそ、産業中央銀行の中で会社に不満があっても、転職もせず、自分の親父の敵をぶちのめす必要があったわけです。これは、視野が狭いのではなく、日本人の価値観、武士道精神であって、多くの人々は、その武士道に共感しているわけです。

しかし、心のなかに武士道がない人、あるいは、それを否定する人たちは、もっぱら個人の利益を追求しているわけですから、そこからすると全く合理的でない生き方なわけです。でも、そうではない多くの日本人がそこに共感するのは、まだまだ、多くの人々の心の中に武士道精神が息づいているということではないでしょうか?

自分が半沢直樹の生き方に共感したのは、この全く合理的でない生き方ではあるけれども、そこから生じる障害を突破していく、彼の有能さ、そして、多くの人々に信頼される誠実な姿勢です。それは、昔、世界に信頼されていた日本人そのものでした。それらがチームとなってきちんと機能している姿に非常に共感したのです。彼の部下は、彼に忠実ですし、また彼自身、友人に裏切られても、その裏切った友人を「裏切られた気がしない」と言って許している。つまり、非常に相手を思う度量の広さを持っている。

誠実で実力があるからこそ、周囲に信頼され、度量が広いからこそ、半沢直樹の周りには、心強い仲間がいます。私はそう言う生き方もありだと思います。なぜかというと、合理的であることが常に正しいとも思えないからです。彼のように自分の哲学を持って、生きることは大事です。特に物事を変革するのには必要な姿勢です。合理性を追求すると、結果が出そうにないことは避ける傾向があり、それは、イノベーションを実現する努力を否定します。それを肯定するのが半沢直樹のような一つのことを突き詰めてやる姿勢、ある種の哲学です。何か問題があったら、他のところに逃げてしまう人間では、ほんとうの意味での変革は出来ないと思います。

違う場所で変わるというのもありですが、私は、障害があっても、そこに踏みとどまり突破していく姿勢もまた必要だと感じます。なぜならば、新しいものを作る時、そこには障害が山ほどあります。その障害について、逃げてばかりいたら、絶対に解決しないわけです。どこかで立ち向かって戦う必要がある。彼は、それを、その誠実さで多くの人々と自然と連携し、そのチームワークで、その戦いに勝っているわけです。

ネジを見て、その技術の価値を深く理解し、それを尊重し、特許のアドバイスまでして、経営を支援する。そういう半沢直樹の姿勢は高く評価するものがあります。日本のバンカーが半沢のようであったならば、経済も上向いているのではないでしょうか?今の日本の銀行は、採算が悪くなると、すぐ貸し剥がしを行い。データを見て合理的でないと判断すると、すぐ切り捨てる。こういう短絡的なやり方では、技術が育たないし、第一、いいものが作れない。(アメリカのように)

いいものを作るためには、それを評価する人がいて、そこに金を投じてくれる人間が必要です。良い人材においても、そうです。半沢の優れたところは、人と物の両面において、公平な評価ができる事です。中途半端な合理主義では、データを眺めて無駄が多いと思うと、現場も見ずに人間でもモノでも、平気で切り捨ててしまいます。でも、データと現実には天と地ほどの差がある。その差を埋めるために足を使っている半沢と、タブレットを眺めているだけの奴とでは、情報量が、ぜんぜん違うわけです。そういう中途半端に合理的な人間は弱いです。半沢のような人間を現実にいた人間に喩えるならば、SONYの創業者の井深大さんでしょう。彼は、人でも技術でも、とても公平に評価できる人でした。データだけのバカは、同じSONYの社長だった出井氏でしょう。彼は、AIBOのような優れた技術を、決算だけを見て、早々に外部に売り渡してしまいました。一つの技術を育てるのには、数字だけの合理主義ではダメです。採算が合わなくても続ける姿勢が必要です。今のSONYが全然、輝いていないのは、そういう姿勢がないからこそです。AIBOを続けていれば、その要素技術によって他にはない全く違ったものを作れていたでしょう。それこそ、Appleにも負けないものを作れるだけの技術的なノウハウがそこにはあったのです。

Appleを見てみても、タブレット端末を生み出すのに、十年以上費やしているわけです。だからこそ、非常に洗練されたモノができ、その結果として大ヒットした。ちょっと、採算が悪いからといって「合理的」にやめてしまうようでは、全然突出したものは作れません。そういう意味で私は、不利な状況になっても、そこから逃げずに、闘いぬく半沢直樹のようなキャラクターは、とても高く評価するべき存在といえる。彼は物事を継続するのに必要な胆力を持っている。胆力のない合理主義者なんて、吐いて腐るほどいて、大した仕事はできない。少なくとも、人々を驚かせるような仕事は出来ない。

「合理的なだけ」では、ダメです。なぜなら、現実は人が考えているほど、狭くないから、私たちが合理的だと思っている世界は現実に比べれば、非常に狭い、だからこそ、合理的でない選択も、半沢のように現実の中で、きちんと足を使っている人間に、運命は微笑むのです。

私は「合理的」という言葉には、自分が世界を見渡せているという「驕り」があると感じています。私は、そこまで現実が見えていない、だからこそ、足を使い、頭を使い、自分が正しいと思うことについて全力投球をする半沢直樹の生き方を高く評価したい。

倍返しだと、報復が怖いのですが、倍返しをされるほど、周囲に迷惑をかけている存在は、大和田のような人間たちなんですね。本来は、周囲が団結してこういう存在を否定することで、自浄作用が生まれるのですが、半沢というヒーローを設定しないときちんと報復できないところに、今の日本の弱さがあるように感じられてなりません。本来は、半沢のような人間の周りに多くの人が集い、力を貸すのが筋でしょう。