SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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競争が本当に必要なのか?

エジプト、シリアで多くの人がなくなっている。まるで、街灯の下の虫の死骸のように、人間がカネや権力のため虫ケラのように殺されていく。命という虹色の羽を持った虫が金という殺虫剤でパタパタと、殺されていくような感じだ。人間を虫に例えるのは不謹慎だが、そんな風に人が死んでいく

誰かの利益、主導権争い、その渦中に巻き込まれれば、どこの国でも起こりうる現実、それは歴史が証明している。だから、権力欲など持たぬ方がいい、そう言う渦を避ける事ができるから。もし避ける事が出来なくても、自らそこに向かう動機はないに越したことはない。

思えば、日本がおかしくなったのは、経済大国などともてはやされた頃だったと思う。それまでの日本は、経済大国ではなく、まだまだ途上国、二流国、だから、一流の国になろうと頑張っていた。振り返ってみると、一流になろうと頑張っていた頃が一番幸せだったのかもしれない。

変にまわりにもてはやされて、注目されたばかりに、その地位を維持しようと躍起になり、競争だの何だのと頑張り始めた頃からおかしくなった。もともと、日本が競争をする理由は、国内にない資源やエネルギーを調達するための外貨を稼ぐためだった。だから、本来の目的は、競争に勝つことではなく、人々が生活するのに必要な物資の調達が目的だった。だから、その物資が調達できれば、競争なんてどうでもいいわけだ。

今、私達の国は、世界最高の省エネ技術、再生可能エネルギー技術、オーランチオキトリウムやボトリオコッカスなど、藻から石油を作る技術、その石油から作るプラスチックを鉄のように硬くする超プラスチック技術、国内需要に匹敵するスクラップ鉄(毎年3000万トン)その鉄を全ての需要に使える再生鉄技術(再製鉄でも硬い鉄ができる)、藻から食用油の生成を可能にすれば、油に使う大豆の生産面積を1/40に出来、その分、飼料米・小麦代替米(一部、二期作二毛作)を作れば、国内の食料自給率は、ほぼ100%になる。(日本の農地470万ha-放射能被害想定120万ha=350万ha)

つまり、国際的な主導権争いなど、くだらぬ事に巻き込まれて、争いの渦中に引きずり込まれるよりかは、国内の技術を洗練させて、必要な物資を調達するほうが、争いのない遥かに豊かな生活が出来る。その方が争いを嫌う日本人のメンタリティにあっている。自分はよく義父に「らしくあれ」と言われていた。何かというと、自分を偽るなという意味。偽りの虚像に振り回されて苦しむよりかは、日本人は日本人らしく、生きるのがいい。日本は国内の生産技術を洗練させて、国際競争という虚像から抜け出す時期に来ていると思う。

他人からよく思われたいと頑張るよりも、自分が一流になろうとしていた日本の方がずっと健全だった。一流の国とは、その国の人々が幸せに生きられる国だ。そのためには、自分の国で食料が作れないなんて、下の下である。生活に必要な物資が調達できていて、それらが、あまねくすべての人に行き渡る格差の少ない社会。それは、日本の技術や、新しい金融制度で実現可能だ。労働時間が長すぎて人としてちゃんと生きられない国なんて、下の下である。