SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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ニヒリズムは、怠け者の戯言にすぎない

20代の頃、突然、ニヒリズムでは、何の解決にもならないということに気がついた。ニヒリズムの帰結は虚無、よって、カッコよくも何ともない、単なる何もしない奴の戯言にすぎないとわかってしまった。当時の私は、ニヒルなのは、そうなってしまうものだと思っていた。しかし、実際は単なる何もしない理由を言い繕う戯言を言っているガキンチョに過ぎなかった。

自分は結果を出すのには努力が必要だと思っていたし、努力をする人間を称賛もしていた。だから、自分のニヒリズムというのは、そうせざる負えない領域に押し込められた結果的なものと捉えていた。だが、そんなふうに言い訳を言ってみたところで状況は何も好転しない。その発想の最終帰結を考えれば、何も成し得ないのだ。ニヒリストは、何の努力もしない、やることと言ったら他人のやっていることを嘲笑するだけ、そして、絶望するのが仕事みたいな人種だ。

それがカッコよくもなんともない、挑戦をして失敗する他人をバカにしている間は自分が偉いと思うかもしれないが、挑戦する人間は失敗から学んでいる。なにもしないで学ばない奴が、何を偉そうにモノを言うのか?若いころ、そういう帰結にたどり着き、ニヒリズムを私は卒業した。馬鹿げているからだ。

ただし、私には、難問があった。昔からだが、体力が全然無い、体力という才能がないのだ。大病をするほどではないにしても、体の活動量に限界が多い。量はこなせない、心が頑張っても体のほうが先にギブアップする。風邪を引いたり、治りにくくなったり、目が悪くなったりと、体の部品を酷使すれば、そのパーツが人より早く壊れる。壊れ方、歪み方を見ると、怖くて動けない。

ガリガリに痩せている私の体から見て、恐らく食物を栄養に変換する能力が先天的に低い。最近は食事をよく噛むように一生懸命頑張っているが、それでも太りはしないだろう。太ろうと思って沢山食べれば胃腸が悲鳴をあげる。何をしても体が壊れたり悲鳴を上げる。頑張れる量が少ない。

そんな私ですら、ニヒリズムは馬鹿馬鹿しいとおもった。全くもって考え方が健全ではないし、健康で丈夫な体を持っている人間の発想ではない。少なくとも自分はそう思う。だって、それだけの体力があれば、頑張れるじゃないか、体は壊れてもすぐ治る優れた体を持っているじゃないか。そういう恵まれた才能を持っていて、ニヒリズムに時間を浪費するなんて、まったくもって贅沢の極み、もったいない。