SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

「人のせい」にすると「バカ」になる

他人のせいにばかりしていると、目の前に転がっている簡単な答えすら、分からなくなってしまう。他人の責任を追求することで、自分にできる事を探さなくなってしまう。そして、自分にできる僅かな事ですらもしなくなってしまう。だから、他人のせいにしてはダメだ。思考停止してしまう。自分にできる事がわからなくなる。

他人の責任を追求することは麻薬だ。その時は一時、気持ちが良い。だが、実際は何も考えてない。すべての責任は他人であって自分は何の選択権もなかったから仕方ないということにしてしまえば、自分は、善人になった気分で気持ちが良い。でも、実際は、体の良い責任逃れでしかない。それについて説明することにしよう。

他人のせいにするのは、簡単です。しかし、そういうことをすると、非常に簡単なことですら思いつかないのです。

子供の頃、胃腸が弱く、私は消化不良に悩まされたのだが、その解決策が最近分かった。母は、私の体に合わない消化に悪いものばかり食べさせ、私が何度も何度も、消化に良い食事にしてくれと頼んでも聞かなかった。その結果、毎日腹痛で辛かった。私は母がいけないんだと思った。たしかに問題の原因は母だったし、私の意見を聞かなかった母が悪い。だが、この問題に対し、極めて簡単で有効な方法があった。それは、食べる量を半分程度に減らし、「よく噛む」ことだ。これによって、この問題は解決することが分かった。消化しにくい肉も量を減らして、よく噛めば、なんとか腹痛にならなくて済む事がわかった。よく噛むなんて、とても簡単なことが子供時代の私に分からなかったわけがなく、私がこの問題の全責任を母におしつけて、自分には何も解決策がないと思ったことが、こんな簡単な解決策すらも考えられなくなっていたのだ。

つまり、他人のせいにしてしまうと、思考停止に陥り、とても簡単な解決策すらも思いつかなくなってしまうほど馬鹿になる。つまり、あらゆる問題に対し、適応できない状況に陥るのだ。だから、人のせいにしていると、能力があっても、バカをみるのである。海の向こうの神様も言っているように「神は自らを助くものを助く」とあるが、これは他人のせいにして思考停止をせず、あらゆることを自分で解決する意識を持ちなさいということだ。できる事があっても、それを「他人のせい」にすることで見えなくなってしまう事があるからこそ、他人の責任の追求は程々にしなければいけない。そうじゃないと、自分を変えることで状況を好転する機会を失ってしまうのだ。(他人に抗議するなとは言わない、ただ、他人を変えるだけでなく、自分を変えることで状況が好転できる可能性も吟味すべきだと言っている)

あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何が出来るかを問おうではないか?

私は食費を減らすために、自分の御飯の量を半分にして、そのかわり、よく噛むことにした。(よく噛むと消化吸収が良くなり、少ない食事でも栄養が得られ、同時に満腹中枢が刺激されて空腹感も抑えられ、しかも、弾力性のある細い血管でも通れる良質な赤血球が作られる為、血行が良くなりだるくならない)それによって、ご飯の消費量を20日で5kgを30日で5kgに出来そうである。これは大体、月1000円の節約になる。これはミクロレベルの話だが、これを日本人全員がしたら、マクロレベルでは、食料の消費量が半減し、食料自給率が40%が80%になるかもしれないという事である。自分を変えることで、変化する世界もあるのだ。当然、若者が自分を変えようとして、選挙に行けば、世の中も変わる。だが、他人のせいにしていると、そんな簡単なこともわからない。だから、どんなに他人のせいで苦境にあえいでいたとしても、それを他人のせいにばかりしてはいけないんだ。必ず、自分にできる事があると信じて考えることが、とても大切なことなんだ。それが出来ると、自分にできる事が見つかり、それが変化を生み出す契機となる。だが、他人のせいにしていると、いつまでだっても、そんな簡単なことすらも思いつかない馬鹿になってしまう。私は未来を担う若者にそう言う愚か者になってはいけないと諭したい。

何らかの解決策があると信じて考える姿勢があれば、99%の敗北と1%くらい勝機が生じる。しかし、他人のせいにして、考えなかったら負けは100%確定である。考えることを諦めてはいけない。どんなに有能な人間でも、考えなかったらバカだ。バカでは問題解決は出来ない。
 

  • 劇場版パトレイバーの1シーン
  • http://youtu.be/y0xtv8FB3Q4?t=2m23s
  • このリンクの動画で、方舟の制御室のメインコンピューターがウィルスに汚染され、制御不能になり、絶望的な状況になったとしても、遊馬は「まだ...まだ...何か打つ手があるはずだ」と可能性を追求している。それが問題解決をする人間の姿勢だ。どんなに厳しい状況でも、可能性を追求する姿勢、それが大事。自分も、絶望的な状況に陥ったときは、このシーンを良く思い出す。遊馬があの瞬間、諦めていたら帆場のウィルスプログラムが勝っていた。日本もね。ある意味、中枢がウィルスに汚染されているようなもの、そこで諦めたら、彼等の勝ち、諦めず、対処しようと考えるのならば、私達の勝ちだ。おそらく、今度の参議院選挙が入れ札で、楽に勝てる最後のチャンス。このチャンスを逃してはならない。