SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

成果主義というミクロ的成功主義ではマクロ的に失敗する

最近、成果主義に影響されてか、失敗をとにかく避ける事が正義だと思う人が増えてきたので、それがなぜ間違っているかマクロとミクロの視点で書くことにする。分かっている人には当たり前過ぎる内容だが、今の世の中、間違った認識がはびこり、世の中をダメにしている事は確かなので、分かっている人は、これを読まず、この最初の文章を「それは違う」と思った人に読んでほしい。

欧米の成果主義は、基本的にマクロ的な成功解釈であれば、成功するが日本人のように細かいことを突き詰める性分の国民には、むしろ進歩を阻害する失敗要因として作用する。それを説明するために仏教の教えから述べよう。仏教では人が学ぶことに対して、三段階あると説明している。

第一段階:守 師匠の教えを守り(教科書通りに行動する)
第二段階:破 師匠の教えを壊し、自分なりの新しい道を模索する。
       (学んだことを自分なりに解釈し、自分のものにするために失敗する過程)
第三弾階:離 師匠の教えから離れ、自分の考え方を会得する。

今風に言えば、守はマニュアル、破はイノベーション、離はオンリーワンである。失敗を避ける事を徹底的にヤルのは当然としても、そのために、失敗を負けとして見るのはマクロ的に見ると間違い。というのは、競争社会において、イノベーションなきものは、敗者となる。つまり、マクロ的に見ると失敗(敗者)になってしまうからだ。それを具体的に見ると、守破離の中の守を優先して破のプロセスを省くこと、それが問題なのだ。

破のプロセス(イノベーションのプロセス)
 失敗→成功→失敗→成功

「守」の論理では、失敗と成功が交互に生じるプロセスである「破」は否定される。つまり、イノベーションが起きない。つまり、進歩がない。ミクロ的に成功しようとすると、どうしても、失敗が介在するイノベーション(進歩)は避けるようになる。マクロ的に成功するためには、一時的な失敗は甘受しなければいけない。重要なのは、そういう失敗を上手にこなすことが大事なのである。つまり、失敗する可能性が高い実験的行為(破)には、全リソースを投入しない。何度か失敗してもいいように、余裕(マージン)を設定する。それが出来ないと、進歩は出来ず、それ故に、進歩の代償としての失敗には価値があるといわれる所以である。つまり、正しい失敗とは、最終的に「勝利」するために必ず経なければいけない「負け」なのだ。

日本型の成果主義が問題なのは、ミクロ的成功の積み重ねがマクロ的成功につながるという単純かつ誤った思想に基づくものだ。進歩が要求される社会において、それは単なるマニュアル人間を増やすだけであって、進歩を阻害し、敗者となることが目に見えているからである。実際、日本のSONYは、終身雇用制度を否定し、成果主義を導入した途端、世界NO.1からNO.2以下に落ちた。オンリーワン企業から、その他大勢企業に格下げになった。それは、破のプロセスを肯定していた失敗しても失業することのない終身雇用制度を否定し、失敗したら切り捨てる成果主義を導入し、オンリーワン企業からレベルが2つほど下の守の企業(マニュアル企業)になってしまったからである。ただマニュアル通りに作られた製品に何の面白みもないので、SONYはNo.1から転げ落ち、その他大勢になってしまった。これが失敗が勝者となるために必要な理由である。私たちが避けるべきなのは、ミクロ的失敗ではなく、マクロ的失敗である。総合的な失敗をミクロ的な失敗から学ぶことで避ける事が必要なのである。だから、ミクロ的失敗についてイチイチ文句をつけるケツの穴の小さな成果主義ではダメなのである。日本で成果主義をやろうとすると、減点主義的教育で叩きこまれた思想と融合して、徹底的に進歩を阻害する要因になってしまう。アメリカは、このことを的確に分析し、日本に成果主義を導入させようとした。そして、それは見事に成功し、日本のエレクトロニクス産業は今や青息吐息である。日本人が勝つためには、失敗しても失業しない安定した雇用(終身雇用)、皆で頑張るために不当な格差(非正規雇用)のない賃金制度(正規雇用)が必要なのである。そして、その上でオンリーワン企業となり、付加価値競争で勝つ。それが大事なのである。

TPPによる規制緩和は、この日本が成長するために必要な安定した雇用を労働規制の緩和という形で壊し、皆で頑張るために必要な不当な格差のない雇用を非正規雇用の拡大という形で壊すものである。どう見ても、日本を長期的にダメにするための戦略としか思えない。恐らくTPPに入ることで日本は、失われた20年が40年になることであろう。これを「負け」と言わずしてなんと言おうか。