SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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日本の市民運動には理性が足りない

デモを撮影していて思ったのは、日本の市民運動の失敗は、感情だけの運動にあると自分は思う。というのは、去年の6月あたりのピーク時からすれば、減っている状態について自分なりに分析してみると、熱しやすく冷めやすい傾向、それは多くの市民運動に見られる。長期にわたって続いているものもあるが、その規模は小さく影響力も限定的、一部の意識の高い人だけが継続していて、他の人は脱落していってしまう。これは、運動の基本的な動機が感情が主体であることによるところが大きいと自分は見る。人は強い感情を継続するのは難しい。だから、熱しやすく冷めやすくなる。

しかし、欧米などに見る理性に基づく運動は、日本の感情だけの運動とは、ちょっと違うと感じる。問題点を数値的に批判したり、政治的に問題のある行為は鋭く批判し、追求していく、これは、常に理性が原動力になっている。理性による批判というのは、感情とは違うので、冷静に問題点を凝視し続けることが出来る。つまり、クールな市民活動なのだ。冷静であるため、熱しやすく冷めやすいという傾向はない。ひたすら論理の積み上げの継続による運動、そこから徐々に支持を受けて大きくなっていく、原発問題であれば、ただ、原発を止めろというメッセージじゃ説得力が足りなくて、福島県民避難させろとか、食品の安全基準を高めろとか、火力に移行し、自然エネルギーの推進にもっと力を入れろとか、より具体的に批判する方が良い。そういう意味では、日本の市民運動には、理性が足りない。

原発事故の記事を書いていた頃は、その種の数値とかデータに基づく理性的な批判をしていたのだが、そう言う批判をすると、推進派と思しき方々から文句が来る。「ああ、こういうことを言われると奴らも痛いんだな」と感じる。つまり、数字による批判とか、科学的な批判とか、そう言う理性的な批判というのは、根拠が明確なため、連中もダメージを受けるような内容だということだ。最近は、そう言う記事を書く体力と気力が風邪でなくなっているため、久しく書いていないのだが、そういう記事を書くのが、やはり効果的だと思う。というのは、今でもそう言う記事は、忘れた頃にアクセスが増えることが有り、内容に継続性があるのだ。感情と違って理性というのは継続性があるのである。また、そういう記事は、主張の根拠が具体的で明確なので、鋭利な刃物のように切り口が鋭い。読まれる度に人を説得し、仲間を増やしていけるのは理性的な記事なんだと、時々復活するそういう記事のアクセス数を見ていて思う。

感情だけだとフェードアウトしていくだけなんだよね。だから、数値やデータに基づいた記事を再び書いていくようにしていきたい。最近、思うのは、理性は感情と違って粘り強いということ。そして、それ故に積み上がっていく強さがあると思う。だから、そう言う記事を復活させたいし、原発反対運動ももっとデータや数値で文句をいう具体性がほしいと思う。その方が人々を説得できる。単純なメッセージだけじゃダメ、分かりやすいけど説得力がないと感じる。もっと理性的で頭のいい市民活動が日本には必要だと思う。