SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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弾道ミサイルがある以上、軍事力では国を守れない

軍事力によって防衛するというのは、大陸間弾道弾が敵国にある段階で、ほぼ無意味といえる。なぜなら、現在の技術では、これらを撃ち落とすことが出来ないからである。撃ち落せても命中率が低い。数発打てばいくつかは着弾する。だから、アメリカ軍が日本にいようがいまいが、敵国が弾道ミサイルの使用を決断した時点で、日本を防衛する事はほぼ不可能といえる。よって、アメリカに守ってもらうためにTPPに入るとか、地位協定を飲まなければいけないとか、憲法9条を変えて戦争できるようにするとか、そういう事は、全く無意味である。日本にできることは、そう言うミサイルを使われた時の被害を最小に抑えるべく、国内にある原発の中にある核燃料を早急に地下に埋設することと、外交上の対立が生じないように、各国との対立を避けることのみである。あたかも、憲法9条を変えれば、防衛が出来るとか、アメリカ軍がいれば守れるとか、そういうのは、相手に自分の国を破壊できる兵器があり、それが防げない段階で、まったくもって夢想といえる。そういう夢想を真剣に信じている人が異様に多いのはどういうことなのかと思う。

 Wikipedia:弾道ミサイル

戦争に行った義父に私は戦争の話について聞いている。まず、戦争というのは、一度始まってしまえば何でもアリである。勝てばなんでもアリなんだそうだ。よって化学兵器だろうが、生物兵器だろうが、核兵器だろうが、戦争になったら使用されることを前提に考えるべきなのである。当然弾道ミサイルが使われる可能性を考える必要がある。つまり、原発が国内に54基がある日本の現状では、戦争が始まった段階で既に負けが確定なのである。弾道ミサイルを数発用意して54箇所の原発のどれかに数発撃ちこめば、着弾できる。そして、原発は電源設備が破壊され、冷却不能となりメルトダウンである。つまり、日本、THE END

憲法9条を改正すれば、問題が解決できると考えるのは甘い、というか、考え方がお坊ちゃまである。むしろ、戦争ができるようにすれば、戦争が勃発する可能性が高まる。つまり、戦争が起きてしまえば、技術的に見て負けが確定する状況の中で戦争の発生確率を上げる憲法9条の変更というのは、自殺行為である。バカではないかと思う。何でもありの戦争で、弾道ミサイルを打つのは、やめて欲しいと敵国に頼めば、聞いてくれると思っているのだろうか?そんな理屈は通用しない。国内に54基も原発がある段階で既に負けなのだ。

むしろ、色々な国と仲良くして、日本が攻められたら、困る国が沢山出来るようにすることが大事である。実際、日本が戦争になれば、世界中の工場が止まる。それによって世界中の人々が困る。よって日本を攻撃した国に非難が集中し、国連多国籍軍が編成され、報復攻撃が半端ないという状況になれば、どこの国も日本を攻撃するという発想にはならない。外交上の対処が最も賢明な対応なのである。弾道ミサイルが防げない段階で、ほぼ守れないのだから。真に国を守るというのならば、原発を全て停止し、核燃料を抜き取ってミサイル攻撃されても、大丈夫な地下に埋設し、その上で憲法9条を顕示して、戦争になりにくい状況を常に維持することを考えるのが妥当である。よって、いたずらに武を誇るような態度は慎み、戦わない姿勢を貫く事が大切である。なぜなら、戦争というのは、何でもアリなのだから。(そして、世界が真似のできないコアテクノロジーを持つ企業が他国に買収されないようにすることも必要である)

孫子の兵法で戦について、「味方に勝ち目があるかどうかあらかじめ検討してみること」としている。

 孫子 抜粋

弾道ミサイルを使われた段階で負けが確定する状況では、戦争をしないことこそ、国を防衛する唯一の、そして、最善の策である。(現状で戦をすれば、放射能によって長期にわたって国土が失われ、人が住めなくなる)よって、他国を刺激するような行為は厳に慎むべきであり、憲法9条を変えるなどもっての外ということになる。自分よりも頭がいいのに、戦争がなんでもありという冷徹な現実が分かっていない人が多く、この論理が全く分かっていない人が多い。私から見ると、頭はいいけど甘い人が多いと感じる。相手が弾道ミサイルを使わず、黙って安々と負けてくれると思っているのだろか?とてつもなく都合のいい考え方をしていると感じる。