SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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表現規制は、戦争のため

最近思うのは、表現規制というのは、戦争の記憶を風化させるためではないかと思えてくる。戦争は悲惨だ。その悲惨さを映像作品で継承されると、戦争できなくて儲からなくなるから、表現規制を作って、残忍な映像を出来るだけ人々に見せないようにして、忘れさせる。そうやって、人々の記憶から戦争を遠ざけ、いつでも戦争が出来る状態にしておく、そういう意思があると思った。自分が表現規制が気持ち悪いのは、それが、とても偽善的な主張に聞こえるからだ。

私が思うに、人間が品格を保てるのは、その逆を知ってこそである。品格のないものが、どういうものかリアルに知っているからこそ、ああなりたくないという事でならない。自分は寒いのが嫌いだが、私の田舎がとても寒い所で冬が指が足先が痛くなるほど冷たくなって辛い。そういう辛いことがあるから、寒さを避けるために一生懸命になる。もし、そういうものがなくなったらどうなるだろうか?戦争の残忍さが記憶からなくなったら、どうするか?戦争を知っている人たちは死んでしまっている。そして、残っているのは記録フィルム、そういう映像などの記録を、残忍だから子供に見せないというのは、ほんとうの意味で、教育上悪い。それは真実を知らせないからである。

表現規制は、人々を真実から遠ざける。そして、人の感性を危機に対して鈍感にする。そして、過去の悲惨な現実から社会を遠ざけ、人々を無知にする。私がそう思うのは、改憲問題に対する人々の反応の鈍さだ。戦争を知っている世代が生きている時代だったら、ものすごいデモが起きていただろう。しかし、今、安倍政権改憲をやるといって9条を変更するような主張をしても、世の人々は無関心である。私はこの状態が空恐ろしい。長年にわたって表現規制をして、芸術作品から戦争の残忍さを少しずつ削り、そういうものから、人々を遠ざけ風化させ、そして、今現在、その集大成とも言えるべき安倍政権改憲に対して、ほとんど反応示さない今の日本人。危険だ。危険過ぎる。