SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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毒キノコとリスクと放射能

私は、子供の頃、毒キノコを食べて、苦しんだ思い出がある。それは、ほんの僅かなミスが原因だった。毒キノコのザルが置いてあり、それに注意書きをせずに、そのままキッチンに置いてしまったあと、毒キノコと知らない母が味噌汁の中に入れて、私が毒キノコに当たった。(その毒キノコは、よく煮だして毒を抜けばおいしいキノコとして食べられるというシロモノだったらしい、私は美味しくなかったが...)

ここで分かったことは、口の中に入るものに注意をしないとエラい事になるということだった。あの時の苦しさは、食ったものを全部吐き出してしまい、気持ち悪くて仕方がなかった。母は何を思ったか、欲しい物を食べさせてあげようと私を街まで連れて行き、色々食べさせようとしたが、その全てを吐き出した。うちの母のトンチンカンな所は、毒キノコで苦しむ子供を病院に連れて行かず、いいものを食べさせようと、レストランに連れて行くことだった。(ハッキリ言って気持ち悪くて辛いのに、街へ連れて行く母の考え方を子供の頃の私は全く理解できなかった、病院に連れて行ってくれるものと思っていたのだが...本当に危ない毒でなくてよかった。危ない毒だったら対処が遅れて私は死んでいるところだった。もっと言うと、今の日本政府も、放射性物質に汚染された土地にいる人を避難させずに放置して、その上、「食べて応援」なんぞと言っている様では、毒キノコで当たった私を病院に連れて行かず、レストランに連れて行った母と同じ、母のやっていることをトンチンカンだと思う人がいたならば、同じ事をしている日本政府にも同じ認識を持つべきだろう)

その頃から、母が出す飯は、私は信用していない。現在の私は、母と暮らしているが、飯は自分で作っている。基本的に母の作る飯を大人になってからも信頼していない。今は放射能が問題になっているが、母の買ってきたものを逐一「産地は確認したのか?」と聞くと、1〜3割の確率で確認していないものが出てくる。そういう母なので、私のおふくろの味は、「危険」である。

ここで言いたいのは、危険というものは思わぬところに潜んでいる事なのだ。特に放射能は目に見えない。だから、常に警戒しておかないといけない。私が母から教わったことは、「信じる者は救われない」あるいは「信じるものは殺される」という事だった。まず、物事は疑ってかかり、きちんとチェックする事。それだけで、とても安全になる。リスクのあるものを避ける事は大切なことだ。

今の日本政府は私の母と同じで、危機に対してルーズだ。だから、信用しないで、コチラが注意しないとヤラれる。そういう緊張感を持つのが辛いからと言って、放射能を気にせず、いい加減な食べ方をしていると、私の子供の頃のように酷い目に会う。私の場合、幸い1日たったら毒が抜けて、2〜3日で体調が回復した。でも、あの時の辛さを思い出すと、放射能についても厳しくチェックする。

食中毒で死んでしまう人がいるように、放射能で疾患を患い、長期的に苦しむ可能性があるということは、チェルノブイリを見れば明らか、ゴルバチョフ氏いわく、ソ連が崩壊したのは、ペレストロイカではなくチェルノブイリだったという。つまり、原発というのは、国家を殺す巨大毒キノコともいえる。ソ連は、その毒キノコにあたって崩壊した。原発とは、それだけ強力な毒を持っているのだ。国家をダメにするくらいのね。
 
 福島第一原発3号機の博発(国家を吹っ飛ばす巨大毒キノコ)
 
 
だから、本当に安全保障のことを考えるならば、原発を使わず、放射性物質をなるべく安全な形で保管することに徹するべきで、それで電気を作るなどという危険なことはしない方がいいのだ。ましてや日本は地震国である。そう言う意味で、安全な原発などというものはない。原発そのものが国家を転覆させるだけの破壊力を持つ毒なのだから。なるべく封じることを考えることが大事であって、活用しようなどという向こう見ずな事は考えないのが身のためなのだ。