SKY NOTE

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B層分析

https://twitter.com/heartpit_hige/status/277352705062735873

そのとおりですね。 RT @giovannni78: ③ 「人間の幸せとは何か」を考えることなく、横並び教育を施してきた。  子供も、大人も、他人の目を気にし、「人に負けたくない」「のけ者にされまい」「いじめに遭うまい」と全神経をすり減らしている。

このツイートを見て、思ったのは、いわゆるB層と呼ばれる人、原発問題のチラシを配っても恐らくとってくれないだろう無関心層の行動パターンが、そのまま書かれているような気がしたので、その心理を分析してみる。

これらの人は、上記の「人に負けたくない」「のけ者にされまい」「いじめに遭うまい」この三つで頭がいっぱいである。それは、私がイジメられた時の傍観者もまた、この心理だった。私がTPPやACTAなどの言論統制に反対するのも、そういう考え方ではいけないと思うからなのだが、加害者(傍観者)というのは、被害者(傍観によって無視される人)の気持ちを理解するものではない。猫とネズミの関係なのだ。彼等は常に猫でいようとし、ネズミになりたくないと思っている。

だが、今回、TPPというネコに日本というネズミが食べられそうになっている時に傍観を決め込むのは、日本人全体が猫でいようと傍観することで、実はネズミになってしまうという矛盾をはらんでいる。全体が見えれば、B層と呼ばれる人にも、TPPによって、自分たちが本当に避けたいポジションに自分たち自身が陥ってしまうことに気づくのだろうが、それをマスコミが報道しないので、知らないうちに彼等は、間違った投票先(彼等が避けたいネズミ直行便)を選んでしまう。

なぜ、彼らの行動がそういう矛盾をはらんでしまうかというと、彼等の基本行動は「嫌なことを避ける」という心理から「無視」「傍観」「無関心」とあらゆる情報を自らシャットダウンしてしまうため、必要な情報がネット上にあったとしても、その接触率はとても低い、自分自身でそれを避けてしまうからである。それはまるで、栄養のあるニンジンを嫌がる子供のようである。では、私のような人間は、どうして、そういう事をしないのかというと、食べ物に例えると、栄養失調で苦しんだ経験があるので、苦いニンジンでも栄養のあるものを食べる事が大切だと見に染みて分かっているからである。それは病気を経験した人が節制を心がけるようになるのと同じである。それがなくて、苦しい思いをしたことがあるから、そうするのである。だが、B層と呼ばれる人たちは、そういう経験をしていない、または、避けつづけて生きてきたようで、その苦しさがわからない。他人にそう言う苦しみを与えていることすら、多分、考えるのを避けているのだと思う。私は、正直言って、そういう考え方の人たちは好きではない。だが、私は、その弱さは理解する。私もまた弱い人間だから。そこで、そういう人たちに最初に挙げた「人に負けたくない」「のけ者にされまい」「いじめに遭うまい」という3つの項目をベースにアドバイスをしたい。

1.「人に負けたくない」

  • 人に負けないために、最初から勝つ算段を行う。負ける戦いをしない。これは命などの一度失ってしまうと、取り戻せない不可逆な問題の場合は、正しい考え方だが、命を賭けるでもない一般の状況(リカバリーできる状況)では、負け犬の発想だ。なぜならば、勝つためには負け続ける必要があるからだ。負けた経験を糧にして、反省し、分析し、改善し、の繰り返し、その中で成長し、勝利が生まれる。この勝利のプロセスを避けている段階で負け犬。要するに負けないようにしているというのは、向上心がまるで無く、自分の力の範囲内で停滞しているのであり、それは、要するに負け続けているのである。それはいわば、緩慢な敗北といえるだろう。その証拠に日本は、一人あたりの所得は、最近、台湾にも抜かれたそうだ。だから、戦いを避ける事で勝っているわけではない、実は負けているのだ。TPPのような入ってしまうと主権を失って取り戻すのが困難なことを避けるのは、合理的、戦争を避けるのと一緒である。(戦争:命を失っては終わり TPP:権利を失うと取り戻すのが困難)だが、TPPみたいな難しく面倒なことを避けるのは、結果的にTPPを推進されて、日本全体が負け犬になる。
  • 日本人が、勝っていたのは、戦後の焼け野原から立ち上がり、その反省にたって、戦争を避けて経済に注力したからである。負けないためには、失敗への反省が必要であって、それは、失敗そのものを避けるために保守的になることではない。失敗から学び、間違いをただしていくプロセスに成長があるからだ。それは歴史を見ればよく分かる。日本の敗北が始まったのは、バブル絶頂期に冷戦が終結し、日本人が敗北の苦味を忘れ、嫌なことから逃げ始めた頃と一致する。敗北の苦味を知っているからこそ、難しいことでも問題だと思えば耳を傾け、慎重に行動することができたからこそ、日本は負けなかった。しかし、今、TPPなどに目を背けている人は、負けないためにやる行動が間違っている。まず、他人に負けたくないのならば、なにが勝利条件か考えるべき、停滞して苦しめられるのが勝利だと思うのならば、嫌なことから逃げ続けるがいい、しかし、それは真の勝利ではない。実際は敗北である。負けたくなければ、逃げちゃダメ。自分たちを守るために必要なことに目を背けず真正面から取り組むべき、そこで、漫画「エースをねらえ!」のお蝶夫人の言葉(B層の対極にあるキャラ、テニス部に入りはじめの 岡ひろみ あたりは、B層に近いかも、自分はあの漫画の中では、岡ひろみと、その友だちのマキの友情が好きだった。愛川マキのような友達がいるといいなと思ったものだ)
  • お蝶夫人(コミック:エースを狙え!)
    • 負けることをこわがるのはおよしなさい!
    • たとえ負けてもあたくしはあなたに責任をおしつけたりしない。
    • それより力を出しきらないプレイをすることこそを恐れなさい!

2.「のけ者にされまい」

  • のけ者にされまいという心理について、私の意見は、人の中にいても孤独なことがあるということだ。というか、人の中にいればいるほど、孤独を感じることがある自分にとって、のけ者にされまいと必死になる人間の気持ちなど理解が及ばない。私が人の中で孤独を感じるのは、意識を共有できないからだ。人は同じではないため、多かれ少なかれ、意識を共有することが出来ないことはままあるにしても、自分が孤独に感じるのは、自分がとても大切だと思っていること、絶対そんなことは考えてはいけないと思っていることを、多くの他人が平気で乗り越えてしまう時の悲しさと孤独は、人の中にいても、孤独というものがあると感じる。私は、高齢出産の上に、養子だったので、明治生まれの人とか、昭和初期の人に育てられたので、考え方が同世代よりも1世代古い、もっと言えば、戦争に行った人に育てられたので、命に関しては非常に重要なものとして教えられている。だから、命を軽んじるような言説、主張、考え方、価値観、全くオカシイと感じる。自分が鉛のごとく重く考えていることを、他人が鳥の羽のように軽く扱うのを見ていると、孤独を感じずにはいられない。それも無視できない規模で、そう言う人がいるのだ。だから、考え方からして、孤独になってしまう自分から見れば、のけ者にされまいとするならば、自分の考え方からして変えなくてはいけない事になる。でも、それは私の価値観が許さない。自分が自分でいることを否定するくらいならば、孤独は、甘んじて受ける。のけ者、大いに結構、人間として最低限の考え方すらも捨てるのは嫌だ。そう思っている人間にとって、のけ者にされまいと必死になる人、理解できません。孤独を感じることは辛いですが、それは、あなたがあなたとして、他人と違うからそうなるのであって、とても当たり前のことなんです。のけ者にされまいと、自分を捨てることのほうがオカシイと私には感じます。偏っていると思うかも知れませんが、孤独は、自分が自分でなくなるよりかは、ずっとマシなことだと思っています。

3.「いじめに遭うまい」

  • 誰しもがイジメられたくない、おそらく、のけ者にされたくない人は、孤独以外に、コレを避けたいと思っている方が多いと思います。コレに関しては、まず、イジメを行う人というのは、従順で、自分の近くにいる人間を攻撃します。つまり、従順ではなく、ハッキリと自分の意見を誰にでも分かる公正な形で主張できる人に対しては、イジメにくいと感じると思います。なにせ、いじめるたびに非常にまっとうな理由で否定され、周囲の目が厳しくなるからです。そういうハッキリとちゃんとしたことを言えるようになることが大事であって、従順に媚びへつらうようではダメです。TPPに関しても、日本は、嫌なことは嫌と国際社会に向けてハッキリと主張すれば良いのです。それだけで大丈夫です。アメリカの主導する自由貿易協定には各国で不平不満が溜まっています。いずれアメリカは批判され孤立することになるでしょう。いじめに合わないためには、そういう不満分子を味方につけることです。強いものに媚びへつらうようでは根本的な解決にはなりません。