SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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オーディオアンプのニーズからみた世の中

Amazonで、日本の小型アンプを見ていて、ニーズから1世代遅れているので商品力がないことが分かる。まず、今の時代、大型のアンプを置けるような消費者がどれだけいるのか?そして、3.11以降、消費電力が100ワット以上もするアンプを誰が買うのか?ユーザーニーズと社会のニーズの両面から1世代遅れており、誰も見向きもしないことが分かる。さらに、音質面でもデジタルアンプで24bit/96KHz、光接続、USB接続は当たり前である。価格帯もダメ。

 アンプ  過去    現在
 サイズ  大型    小型
 消費電力 100w以上 30w以下
 信号処理 アナログ  デジタル(24bit/96KHz)
 接続端子 ピン端子  USB/光
 価格   4〜5万   1〜3万

ニーズに全くフィットしていないので売れないのは当たり前である。時代遅れのものを作っているのだから。無駄以外の何物ではないではないか。利益が出ない以前に売れない。売れない製品を作って赤字になるだけだ。

このように社会にはニーズがあり、そのニーズに合致していないと人に見向きもされないのである。日本のメーカーの製品を見ても、全然欲しいとは思わない。だんだん、日本のメーカーのカタログを全然見ていない自分に気づく、そろそろ終わりだなと感じている。もう忘れそうになっているんだ。日本のメーカーの名前が。

デモなんかも同じで、世の中の求めているニーズがあって、それに合致していないと増えないんだと思う。その条件を見つけることが大切だ。

1.可能性がある事

  • デモの数が増えたのは、倍々ゲームで増え続けている時だった。つまり、このまま増えていけばひょっとしたら社会を変えられるかもしれないという期待があったからだが、オリンピックを境にネガティブキャンペーンと相まって、その期待は潰された。だから、人々の期待が条件の一つとも言える。期待の持てる可能性が感じられないと、ダメなのだ。

2.険悪でないこと

  • 日本人は争いを嫌う。その点で、内ゲバ騒ぎがあったが、これは作られたものだったと思う。デモが大規模化したタイミングでTwitter工作員らしき人が出てきて、一見、脱原発派のふりをして、実際にはネガティブキャンペーンをやっている人がいた。脱原発派として意見と、ネガキャンを交互に繰り出すという、非常にテクニカルなやり方で展開していたので、もしかしたらCIAの工作員かもしれない。単にそれだけでなく、問題だったのは、完璧主義に基づく、減点主義的な批判合戦が生じたことであった。これは、オレが正しくて、お前は間違いという否定の仕方で、個々の人間に完璧とされるモデルがあって、そのモデルと違うから否定するという。非常に幼稚な批判姿勢だった。そんなことをすれば、お互いに考えていることがわずかでも違うだけで対立し合うようになる。永遠に強調できず、分裂するだけだ。CIAの工作員とみられる人間も、このようなロジックを最大限利用してネガキャンを繰り出していた。お互いの主張を尊重しつつも、協調することが必要なのに、互いに自分の中の完璧を追求するあまり、他者に極めて不寛容な姿勢を貫いた結果、対立が起きて、それが険悪な雰囲気を作り出し、人々が離れていった部分もあると思う。これは、日本の過去の社会運動にも見られる傾向で、これによって、失敗した社会運動がたくさんあった。重要なのは、互いの僅かな違いを批判し合うことではなく、互いの行動の良い部分を尊重し、対立しないことだ。たとえば、Twitter上で、こういう事例があった。デモと不買運動やストのような実力行使的な行動をセットにしないとデモには効果がないから、日本のデモはダメだという主張があった。デモをする人の存在も必要なのに、実力行使というファクターがないというだけで、デモをする人を否定する。これでは、誰とも協調できないし、協力できない、第一、他人に敬意と尊重の意思を示さないものに誰が協力するというのか?私は、そういう人に、もっと他者に敬意を持ち尊重することを薦めた。そうじゃないと協力できないから。彼はこう言うべきだった。不買運動のようなものをセットでやれば、もっと効果的ですよ。これだけで良かった。否定などする必要はなかった。なぜなら、お互いに必要なのだから。減点主義、完璧主義ではなく、加点主義、暫定主義と言うのが、結果的に他者を尊重できるので、協調もできるし、完璧を求めず暫定的な行為の繰り返しによる目的の達成を考えているので寛容にもなれる。社会運動を成功させるには、寛容と協調が必要であり、そのためには、完璧主義と減点主義は不要である。必要な事は暫定主義と加点主義、これが逆説的だが、最終的な結果に人々を導く。完璧主義や減点主義じゃケンカばっかりだからね。僅かな違いで喧嘩するよりも、互いの違いを認めた上で同じ目的のために協力できる部分は協調していく、そういうオトナの対応ができないとダメだ。完璧なんてものを求める段階で、あまりにも子供じみている。そんなもの最初からないのに。最初にあるのは未完成な状況だけ、それを完成に近づけるために、暫定的な行動の繰り返しが必要という現実が分かっていないとダメ。それを、いちいち否定していたんじゃ身がもたない。