SKY NOTE

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自由について

ACTA、秘密保全法、人権侵害救済法など、市民の言論を封殺しようとする法律が可決されたり、議会に提出されている状況の中で、その中で自由について語ってみたいと思う。というのは、今、自分たちのいる社会がいかに自由なのかが人々が分かっていないと思うからだ。

そこで、私の生い立ちから説明したい、私に影響を与えた人間は、義父と義理の祖母、そして、私は養子だった。母は実母。あの家の中で私と血の繋がった人間は母しかいなかった。

義理の祖母は、明治生まれで古い価値観の持ち主で、若いころお姑さんから散々いじめられたらしく、非常に臆病な性格で、僅かな争いでも避けようとする人だった。だが、問題は、避けるためにする手段に妥協が全くない人で、他人の自由を売って、一時的な平安を得るような人だった。よって、私の自由は祖母によって売り渡され、そのかわり、一時的な平安を彼女は手に入れた。いわば私に不自由というものを教えた存在といえる。彼女曰く、家の争いを収めるために、お前は黙れというのが口癖。

逆に義父は、天才という種類の人間で、基本的に好き勝手に生きている人、頭が良いが酒飲みでどうしようもないところがあったが、自由というものを知っている人だった。彼曰く、自由の唯一のルールは他人の自由を奪わないこと、祖母とは正反対な人だった。

というわけで、私は祖母から不自由の辛さを、義父から自由の素晴らしさを教わった。この全く正反対の価値観に触れながら生きていた。僅かばかりの対立を恐れるあまり、私から言葉を奪った祖母には私は今でも恨みの言葉が絶えない。言葉を奪われるのは、その人の行動を制限する事とほぼ同じである。故に自由がなくなってしまう。まるで心のなかで両手が手錠をかけられている状況である。今の野田総理にも全く同じ行動パターンで、彼は対立が生じそうになると、必ず、邪魔な人間を徹底して黙殺したり排除している。そして、一時的な争いを収めるために、どんなに大事なものでも簡単に売り払ってしまう。ここで売り渡されるのは、市民の自由と権利である。私の子供の頃と全く同じである。

自由が奪われると何が起こるか、まず権利を失う。権利というのは主張が前提となっているため、その主張を封じられると真っ先に権利を失ってしまうのである。例えば、放射能に汚染された土地から避難したいと思っている人がたくさんいるだろう。福島県民に過失はない、過失は東電と国にある。だが、過失を犯したものの罪は裁かれず、市民の権利を蔑ろにされたまま、福島の人たちは、避難も出来ずにその場所で、半ば放射能の人体実験にも相当する扱いを受けている。これが権利を失うということである。

今の野田佳彦のやっていることは、そういうことなのだ。言葉を失うというのは、そういう状況をメディアがほとんど報道しない事もあるが、ACTAやTPPや秘密保全法が施工されてしまうと、それが法的に規制できるのだ。今までは官憲とマスコミの癒着程度だったのが、法的に規制できる状況が生まれると、本当のことを言う人が逮捕される状況が生まれる。なぜ、そうなるのか、なぜならば、不正を行った者にとって真実は、最も危険なものだからである。つまり、自分たちにとって危険なものを排除するのに、これらの言論統制法案は、非常に便利なツールとして機能する。非常に強力な権力といえる。

その権力の代わりに市民が得るものは、権利が蹂躙された社会である。政府の方針に反対することが許されない社会、今よりもはるかに閉塞感のある社会となる。これは、社会の腐敗といえる。政治家の腐敗とはケタ違いの問題となる。何せ社会そのものが腐敗しているのだから。ほんの一部の官僚や政治家の保身ために99%の国民が権利を蹂躙されて苦しむ社会が生まれるのである。

そんな酷いことはしないだろうと思うかもしれないが、既に野田政権のやっていることを直視してほしい。特に福島の人たちにしている彼の仕打ちを。既に現実にそういうことがやられているのだ。これが法的に制度化されて実行されると日本全国で行われるようになる。故に許せないのだ。実際に既にもう、市民の権利は蹂躙されている。じゃぁ今とあまり変わらないじゃないかと思うかもしれない、しかし、まだ法的にそういうものが制度化されていない分だけ、限定的に行われているだけで、全体には波及していない。それが私たちが問題を体験していない事で状況を軽く見る原因ともなっている。しかし、もし、自分にそれが降り掛かってきた時、その時、困っても遅い。まるで原発メルトダウンによって福島の人たちが災難にあったように言論統制という法のメルトダウンによって市民の自由が奪われ、言いたいことも言えず権利が蹂躙される立場に日本人全体がなるだろう。

言論統制は、民主主義の死をもたらし、独裁が大手を振って歩きまわる社会になる。そして、権利を主張するものは、かたっぱしから逮捕される。そう言う社会になる。なぜなら、権力者にとって、そう言う人間は危険であり、保身のために排除したいのだ。常に。

そう言う権力者にとって言論統制は非常に魅力的な権力だ。非常に甘い権力の蜜なのだ。この蜜の魅力に抗えるほど高潔な人間が政治家であれば良いのだが、現在の永田町を見ていると、それは期待できそうにない。だから、危険なのだ。