SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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プリンシプルの足りない日本

プリンシプル、それは、原理原則という意味である。私が義父から教わった事の中で一貫していたのが、プリンシプル(原理、原則)だった様に思う。義父は原理原則とは、一言も言わなかったが、その考え方が、この原理原則の徹底にあったといって良い。ただ、その原則に会わない人間を徹底的に否定したので、社会性はゼロに等しい人だった。

ただし、義父はニュースを見ても、正確に次の展開を予測できていた。それは、世の中に流れる原理原則に忠実だったからである。私の言う原理原則とは、教条主義的なものではなく、人の醜さ、愚かさを内包した原理原則である。人間の持つ、善と悪の原則に従って考える。一般的な原理原則とは、正義のみであるが、私が教わった原理原則は悪も含んでいる。悪の原理原則とは私利私欲の合理である。それらを含み物事を考える。

だから、強欲に支配された人間がどういうことを考えるのか想像できるのである。日本で足りないのは、この悪人の論理が分かっていない事による甘さ、その甘さが悪をのさばらせる。(私も正直言って、まだまだ甘い)悪の合理を理解すると、恐れるべきものが見えてくる。ACTAなどは、その典型、欧米人は、合理を徹底する民族であり、それは悪の合理も徹底する。その徹底的な思想を理解し、それが悪だった場合、警戒するべきなのは当たり前なのだ。相手が容赦がない事を理解し、こちらも挑まなければいけない。そういう厳しさがあるという事を理解すれば、抵抗も徹底的にやらないといけない事が分かる。

正直言って、自分は政治や経済など、つまらなくて仕方がない。私が好きなのはAppleのようなハイテク文化がもたらす可能性である。でも、デモに参加するのはなぜか?相手が悪を徹底してくる事が分かっているからである。そこには、甘さは一切ない、しかも、巧妙かつ狡猾に攻めてくる。キツネのような連中だ。ただし、この悪人は欧米人全体を表しているのではない、欧米人の1%以下の存在、権力を持ち、外国を植民地か何かと勘違いしている連中の事である。私達は、そういう勘違い野郎に「NO!」と言わなければいけない。それが民主主義国の人民としてのプリンシプル(原理原則)である。

親としてのプリンシプル(原理原則)
・子供を守る事
 ・放射能汚染された土地に子供を置いておくなんてとんでもない事である

主権者としてのプリンシプル
・主権者(王)として悪政を認めない事(安易な妥協は悪政を放置する事になる)
 ・国民(主権者:王)との約束を破った政治家(家来)には票を入れない。(クビ)
 ・国民は主権者として、投票所に行き、良い人材を選ぶ義務がある。
  ・この義務を放棄したものは、政治について一切の批判するべきではない。
  ・主権者であるから良い人材を選ぶ責任があり、その為に勉強するのは当然である。
   ・良い人材を選ぶには良い情報が必要であり、その為に良い情報源を確保する事
    ・ACTAのような治安維持法まがいルールは当然否定する。
・主権者として公正である事(理不尽な要求をしないし、させない)
 ・不公正な税制(抜け道だらけの税制は是正し、薄く広く確実に税金を取る事)
  ・法外な税を取らないが、妥当な税は確実に取る公正さが必要。(控除の大半廃止)
  ・平等ではなく、公正な税率が必要(貧しい人には低率、富める人には高率)

正直言って、プリンシプル(原理原則)を守る事は難しい。自分も全てを守りきっているとは言い難い。だが、それを守る事を「当然」とする事で、人間は、心の背筋が曲がらなくなる。硬い考え方だが、その硬さが社会を支えると自分は思う。人には柔軟性も必要だが、同時にある程度の硬さがないと、周囲の重圧に耐えられず曲がっておかしくなると思う。柔らかすぎるとぺしゃんこになってしまう。