SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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自分は真面目だといっている奴の気持ち悪さ

私は正しい、自分は真面目、私は善人と言っている人間を私は信頼しない、なぜなら、ほんとうに正しい人は、自らを正しいと肯定せず、常に自分がなにか間違っていないか探求している人であるから、私の祖母は、自分が正しいと思っていた人だったからわかるけど、自分を正しいといった段階で、自分に対するチェックが非常に甘くなっているんだよね。祖母の人生は間違いだらけだった。多くの過ちを犯した人だった。だが、死ぬまで自分は正しいといったが、最後に近くなって、可愛がっていた私に全否定された人だった。

彼女の過ちは大きかった。このブログ上では言えないが、とてもひどい間違いを犯してきた人だった。私がそれを知ったのは大人になってからだったが、それで分かったことは、自分が正しいと思っている奴ほど大きな間違いをしやすいという事だった。まぁ普通に考えればわかるよね。人間は間違いを犯すもの、その間違いがないと己を盲信した段階で、自分の過ちはノーチェック、つまり、自分が正しいと思えば、思うほど、自分の過ちに対してノーチェックだから蓄積していくんだな、過ちが。

天才が自分を正しいといえるのは、誰よりも深い洞察ができているからであり、そういう人間が自分が正しいというのは分かる。それは、適切な思考を伴っているから。しかし、凡人が自分が正しいと思うのは、ただの思い上がりに過ぎない。凡人が自分が正しいと思うには、必ず犯すであろう間違い、思慮の浅さをひとつひとつ地道に潰す作業が必要だ。その作業をするためには、必ず愚かな自分に対する適切な懐疑心を持つことが必要だ。自分はなにか間違っていないか常にチェックする心、それがないと、普通の人間は正しくならない。もし、最初から自分は真面目だから正しいとか、私は善人だから正しいとか言い出したら、それはただの独裁者予備軍にすぎない。実際、祖母は独裁者だった。己を盲信する人間は己の正義に疑問を持たない。この事が独裁を生む。自分が正しいんだから、他人は自分に従うことが正しいと思って、自分の正義をゴリ押しするわけだ。

問題なのは、自分を正当化する方法が、論理や根拠ではなく、真面目とか、善人とか、自分自身に帰属していること、私は真面目だから正しい、一見、正しそうに見えて、なぜそれが正しいのかという説明は全くしていない、正しいという根拠が自分自身、じゃぁお前自身が正義なのかと言えば、そんなのは神でもない人間には不可能。間違いを必ず犯しているであろう自分自身を直視できていない段階で、こういう人間はすでに真実から逃げている。祖母も現実逃避ばっかりしている人だった。現実を直視せず、とにかく事なかれ主義的に問題を処理している人だった。状況を真正面から捉えず、自分の心のなかのバーチャルな正義を信じているだけで、そこには何の根拠もなかった。故にその現実と理想との乖離が、結果として不幸を生んだ。外部から非難されているのに、自分は正しいと、自己正当化を始めた段階ですでに間違っている。人間は間違いを犯すという前提を無視した段階で現実から逃避している。それは原発安全神話を見れば分かるよね。

正しいことには、それに見合うだけの根拠が必要だ。十分な根拠を示さず、原発再稼働を主張する野田佳彦は、自己正当化の権化、言っていることと全部反対のことを実際はしている。「国民生活のため」という言葉とは裏腹にやっていることは地震が活動期に入った日本列島で原発再稼働という「国民生活を危険に晒すために原発再稼働する」というのが、彼が実際にやっていることである。自己正当化している人間の頭の中はバーチャルだけら、それが現実と乖離していても意に介さない。(そういえば、祖母も私に「家のため」といって私をよく黙らせていたな)なぜなら、自分の頭の中が正義であって、その正義に現実を合わせようとしているだけだから。頭の外に目が行っていない。そこが野田佳彦みたいな人間の恐ろしい所。祖母と同じ。私は野田佳彦原発再稼働演説を聞いていてデジャブを見たのかと思った。よく考えたら祖母と同じだった。(そういう人って外界を全く観察していなんだなコレが)

こういう人間の特徴は、根拠を要求してもだんまりを決め込む事、都合が悪い質問には答えない。応えたとしても根拠を伴わない美辞麗句を言うばかりで全く話にならない。そういう人間が一番危険なんだ。一番大きな間違いを犯すタイプ、そして、正しさの根拠が基本的には自分でしかないんだ。例えば、野田佳彦原発の再稼働について、「不退転の決意」とか、「自分が責任を持つ」といっているのだけど、福島第一原発で問題が起こった時に使われたのは、国民の税金なんだよね。すでに東京電力に数兆円も税金突っ込んでいる内閣が国民に言うセリフじゃない。国民に責任をとってもらっているのに、さも自分が責任をとっているかのように言うのは、おかしいよね。本来言うべきは、「最近の巨大地震は、国内の原発の耐震性能を越えており、ここで原発再稼働をし、地震などで事故が起きた場合、政府は国民生活を守ることができないと判断し、原発は全て廃炉にすることにいたしました。つきましては全国民に節電をお願いしたい」というのが現実に依拠した誠意ある主張だ。現実を直視したところに本当の誠意や正義がある。頭の中で、ありもしない正義を作ってマスターベーションしている人間ではダメなのだ。