SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

フェラーリに乗るとダメになるジンクスの理由がわかった。

今日、道を歩いていると、フェラーリを見た。フェラーリには、あまりありがたくないジンクスがある。それは、フェラーリに乗ると会社の経営者がだめになるという話だ。車高の低いフェラーリを見ていて、「ああいう車に乗ると安定感があるんだろうな」と思いながら、常々疑問に思っていたことの答えがわかった。それは、達成感を与えてしまうからだ。オレはフェラーリに乗れる人間になったぞと、その上が存在しなくなる。コレが何がダメなのかというと、それ以上の上を目指すことなくなってしまう、向上心がなくなってしまうのだ。人は渇望があるからこそ、向上心が生まれるが、フェラーリのようなものは、その渇望を満たしてしまう。満足してしまって、その上を目指すということがなくなるので、ダメになっていく。恐らくフェラーリに乗ってもダメにならない人はいる。それはフェラーリ以上に素晴らしいことを考えるビジョンを持っている人だ。しかし、フェラーリ以下のビジョンしか持っていない人間は、フェラーリが与える満足感に溺れてしまう。それ以上の事を考えなくなってしまう。つまり、フェラーリに乗る資格のある人は、フェラーリ以上のビジョンを持っている人だ。

重要なのは向上心、至高のものに触れてしまうと、それ以上のものが存在しないかのような錯覚に陥り、その結果、その上を目指すという向上心(意欲)を失う。そういう意味ではフェラーリのような至高のものは、それに満足してしまうことで、限界を設定してしまう。その限界が向上心を滅ぼし、人をダメにする。人の心の器の上限を設定してしまうため、それが限界となり向上しなくなってしまう。全て、それが至高であって、それを超えるという発想や意欲がなくなってしまうという点が問題なのだ。フェラーリがゴールになってしまって、そこから先へ行かない。それが問題なのだ。フェラーリに乗る資格のある人は、カウンタックを作ったフェルッチオ・ランボルギーニのように、自分はフェラーリが気に入らなかったから、自分でもっといい車作ってしまう。そういう人こそ、逆説的だが、フェラーリに乗る資格のある人だ。フェラーリに限らず、限界を設定してしまうことは、向上心を人から奪う。常に可能性を追求する人こそ、フェラーリのような至高のものを扱うのに相応しい。そうでないと、飲まれてしまう。