SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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悲観的妄想による不幸(本当に悲観するべきは停電よりもメルトダウン)

悲観的妄想によって、悪い方に悪い方に決断していってしまう。本来は、良い方向に行く機会があるのに、それを妄想的に根拠無く否定し、自ら悪い決断に望んでしまう。そうやって自分のみならず、他人をも巻き込んで不幸にしてしまうのだ。

例えば大飯原発再稼働、電気はじつは足りているのに、足りないと悲観的に妄想して、大飯原発再稼働に賛成してしまう人たち、彼らに足りないのは客観的な楽観性。報道されている情報を疑う健全な懐疑心である。

彼らの妄想には根拠や理性が伴わないので、いくら客観的に大丈夫だといっても、納得しない。なぜなら、彼らの悲観性は妄想的だからである。彼らは悲観的に考えることが大人であり正しいと思っているが、その考え方がより悲観的な発想への落とし穴になっていることに気づかない。そして、その悲観性が本来ある有益な機会を喪失することになってしまう。

彼らは悲観的に考えることが正しいと考え、そうすることが正義だと思っているが、実際は、有益な機会を無視してしまう傾向にあり、それ故に正義だと思いながらも悪事を行なってしまう。つまり、善意ある悪人なのだ。彼らの善意の欠陥は、有益な機会を「そんなことあるわけない」と妄想してしまうことである。しかも、何の根拠もなくそう考えてしまうのである。そこで、私が彼らに薦めたいのは、根拠に基づいて考えることである。このタイプの人は主体性というものがない。何事も悲観的に捉え、その発想で自分を守ってきた人たちだ。このタイプの人達はコントロールしやすい。よって、マスコミも、こういうタイプの人間を煽動するような情報を流している。客観的な情報をできるだけ流さないようにし、電気が足りないとか不安を煽るような情報を流す。コントロールするのは簡単、例えばこういう報道、電力会社の出力などの根拠となる客観的な情報を与えず、「電力不足になるとして大飯原発再稼働を云々...」という情報を流すわけである。本来、嘘であるのだが、伝聞形式にすることで自己の責任は回避し、その上で電力不足という悲観的ファクターをそういう人に伝え、「ああ、できないんだ」と思い込ませ、「だからデキないから」→「大飯原発再稼働は正しい」と思い込ませる。

私がそう言う悲観的な人達に言いたいことは、健全な悲観性を持つことです。本来、解決できることをデキないと悲観するのではなく、本当にデキないことを悲観するべきです。それは「安全な原発など作ることはデキない」という悲観的な現実です。日本には電力不足を解決できる余裕があります。しかし、地震が起きた時、稼働中の原発を安全に停止するのに必要な基礎的な耐震強度がないというのが現実、もし、メルトダウンを起こしてしまうと、日本のみならず世界が滅亡してしまうほどの大量の放射性物質があるという本当に悲観しなければいけない現実を理解するべきです。(それも福島第一原発4号機1基だけでそうなのです)そして、マスメディアは、原発利権と密接に連携しており、彼らが私たちの味方ではないという悲観的な現実も理解するべきなのです。これを理解するのには、電力が足りるという現実をあまり報道せず、情報を欠乏させて電力が足りないと「政府が言っている」と不安を煽るようなことばかり報道しているマスコミの姿勢を見れば明らかなのですが、悲観的な人は悲観的なことを言うメディアが現実的だと思い込んでしまうのです。そして、本来、危険で悲観しなければいけないことから目をそらしているのです。

発電所の出力と去年のピーク電力と発電出力(1800万キロワット余裕がある)
資料:脱原発は可能か? 統計で分析してみた ver 1.2(対案アリ)

ウィキペディアで調べれば各電力会社の発電出力は簡単に出てきます。それがないと言っている時点で、すでにマスコミは嘘を言っていると分かるわけです。自分たちの嘘を、電力会社が公表しないといって、電力会社があたかも、そう言う事実を隠匿しているように見せかけ、実際には公表されている情報すらも伝えようとしないマスコミ。それがこの問題の核心なのです。真実がふせられ、虚構がまことしやかに語られていることが問題なのです。

停電する事よりも、稼働中の原発メルトダウンを起こす事のほうが遥かにリスクが高いという事を悲観しなければいけないのに、停電のような小さな事を悲観し、メルトダウンのリスクという非常に大きな危険を警戒(悲観)しないという危険を犯しています。よくよく考えれば、停電は1800万キロワット余裕があるのですから避けられる。しかし、過去10年間の地震の記録を見ると、大飯原発の1260ガルという耐震強度の2倍以上の地震が3回も起きている。つまり、2500ガル以上の揺れの地震が3回も起きているのだ。悲観するのならば、こういう事を悲観しなければいけない。

原発の耐震性能と、最近の地震の揺れの強さ(ガル:この場合、揺れの加速度を示す単位)

再稼働が検討されている大飯原発メルトダウンした場合...(風下に数千万人がいます...)

福島第一原発の時は、風下が海だったのは不幸中の幸いでしたが大飯原発の場合違います

この図を見れば分かる通り、近畿(2100万人)、中部(2357万人)、関東(4243万人)、北陸(544万人)と日本の大人口地域が風下にあります。これらすべてが放射能に汚染されたら、日本の人口の70%が被曝します。たかが夏場のピーク数時間程度の停電のリスクの為に、9044万人の人命を危険にさらすのは、全くもって、おかしいのです。

正しい悲観は、危機を避けるのに有効だが、誤った悲観は、逆に危険を呼び込む。特に小さなリスクを避けようとして、大きなリスクを無視(楽観)するというのは危険だ。彼らの悲観の問題点は、マスコミが原発再稼働に世論誘導をしている現実を悲観していない事。ニュースキャスターの古舘が「圧力はある」と言っているように実際に圧力はある。火のないところに煙は立たない。少なくとも世間に古舘が「圧力がある」と公言する位、そういうものがあるという現実を認識しつつ、テレビを疑ってみるのが正しい見方。古舘の言いたかったことはマスコミ(自分も含めて)は嘘を言うこともあるから、気をつけてみてくださいといっている。彼の立場での最大限の善意だったのでしょう。限界はあるでしょうが。

大事なことは、本当に悲観しなければいけないのは、停電ではなくメルトダウンです。政府の基準は日本の巨大地震に耐えられるものではありません。そして、実は全ての原発が巨大地震に耐えられるものではないという悲観的現実を理解するべきです。というのは、後藤政志氏を始めとする原発の設計者そのものが、日本の巨大地震に耐えられる原発は作ることは不可能と公言しているのです。

最近、3.11以降、過去の地震の再調査が行われており、地震の際の津波の痕跡から、日本史上最大と言われた宝永大地震(1707年)の2倍近くの津波が2000年前に起きていたことが分かり、私は驚きました。あの日本史上最大と言われた宝永大地震の2倍、日本で最大と言われている地震は、世界最大の地震なのです。その2倍の地震が2000年前に起きていたという現実を知った時、日本には原発は向いていない、世界で原発を建てるのに最も相応しくない国は日本だと確信しました。もはや日本に大量の核燃料を置くのは、世界にとって非常にリスキーなこと、つまり、悲観し憂慮するべきことだと分かりました。非常に大きな巨大地震に見舞われた時、周囲の火力発電所も停止することでしょう。また、地震ディーゼル発電機も機能するかわかりません。また、原発自体が強度が不足しているので、原発そのものが正常に機能するかもわかりません。このような状況で原発再稼働など狂気の沙汰としか言えないのです。

稼働している原発は高温で非常に危険です。冷温停止状態であれば、それが加熱するのに時間の猶予が若干ありますし、使える核燃料は外国に売り飛ばし、使用済み核燃料は、できるだけ日本の中でも地震の少ない地域に移設し、安全性をできるだけ上げることが必要です。それを実現するのは、脱原発という決断なのです。もう日本では「原発はやらない」と決断出来れば、使える核燃料は、もはや不要なので、外国に売り、残った使用済み核燃料は危険物として、安全に保管することのみに集中すればいいのです。プルトニウムの原料としてアメリカがほしいと言ったら売ってしまえばいいでしょう。とにかく、日本に大量の核燃料を置いておくこと自体が世界にとってのリスクなのです。核戦争を起こすまでもなく、核による人類破滅を何回も実現できてしまうほどの核物質が日本の原発にあり、その下に活断層があるという現実こそ、本当に悲観しなければいけないことなのです。それに比べたら停電の1つや2つ、全然、気にすることもなく、実際には、その停電すらも余裕度があるので起きないのです。ありもしない危険に怯えて、本当の危険を見過ごす事のないように、もっと現実を直視するべきなんです。脱原発とは、本当は日本の停電という瑣末な問題ではなく、世界の存亡のかかった現実に対する最初の一歩にすぎないのです。その一歩すら踏み込めないのならば、日本という国は何なのでしょうか?それほど情けない国になってしまったというのでしょうか?否、そうではないと私は思っています。ただ、嘘の情報が流され、それに惑わされているだけだと...現実を知った今、私達がするべきことは、野田政権の過った判断に「NO!」と言うことなのです。停電ではなく世界の人々のために...