SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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ドンキホーテを読んで、自分の心の傷がわかる

子供の頃、失敗した自分を励まそうとして自分のいいところを褒めると、すかさず、それを自惚れ、現実逃避だとして非難する義姉がいた。私は、そうやって自分を責めていると余計に心が削れていってしまうので、「自分を励ますのを邪魔しないでくれ」と文句を言った。しかし、彼女にとっては、私の自尊心よりも目の前の現実を認識させるという善意で動いていたつもりだったのだが、現実なんてものはとうの昔に分かっていているからこそ、自分を励ます必要があると思っているわけで、そういう私を現実が分かっていない愚か者と非難する義姉の頭の悪さには閉口したものだった。「こんなバカには何言ってもダメだな」と思ったが、あまりにネチッコク言われるとさすがにコチラも嫌なので、文句を言う。当然、言い争いになる。そうなると今度は、義理の祖母が出てきて「争いをするな」といって黙らせる。彼女が出てくるとあの家ではゲームオーバー、私はそれ以上、口応えをすると、今度は義兄に「お前はばあちゃんに逆らうのか?」と言われる。義兄、義姉、義理の祖母、この三方包囲に私は白旗を上げざる負えない状況になり、黙るしかなくなる。そういう家だった。

私は自分をちょっと励ますのにも、家族三人の了承を得なければいけないという酷く厳しい状況に陥っていた。義姉は勘違いし、義理の祖母は忍耐を私に要求し、義兄は権威による脅し、私は、単に自分を励ますという行動をひとつするのにも、勘違いされ、我慢させられ、命令されるという苦渋を舐めなければいけなかった。怒ったら、争いを起こすと非難され、文句を言えば、黙らされ、抵抗すれば、包囲されて命令される。とても苦しかった。

この三人のやったこと、事実に基づかない批判、一方的な隷属の要求、抵抗したら脅し、やっていることはヤクザと同じ、いちゃもんつけて、法外な要求をし、抵抗したら脅し、この3点セットをイメージすると、何が必要かといえば、人と話すのが嫌になる。人と関わるのが嫌になる。争いになりそうなことがあれば、とにかく避けて、近寄らないようにする。要するに人間不信に陥るわけだ。このプロセスには暴力は一切ない、ただ、抑圧のみがある。昔いた友人に「君はドン・キホーテのようだ」と言われたので、最近になってドンキホーテを読んでいるのだが、この本が私は読めない。まず、ドン・キホーテのする事は、トラブルを引き起こすのが明白なことをする。この時点で私は、その先が読めなくなる。要するに抑圧3点セットを思い出すと、精神的にブレーキが掛かってしまう。多分、精神的に健全な家に育っていると、このおかしな話を笑って読めるのだろうが、私は読めない。そのようなことをすると、私の家では抑圧が待っていて、それを思い出すと、その先が読めなくなるほど緊張する。

ドンキホーテを読んでいて私が分かったこと、自分の心の傷が、とても深いということが分かった。ドン・キホーテのようなことをするという点では恐らく、友人は正しかったのだろうが、その後の対応については、全く違う。私は事前にトラブルになりそうなことは避ける。ある意味、ドン・キホーテのように無謀なことはしない、事前の計算をする。だから、彼と私は違う。無謀を犯さないという点で違うのだ。ただし、私は自分の考えたことをやろうとすると、結果的に他人と同じにならない。その結果、同調圧力と常に衝突する。無謀ではないが、同調はしない。その結果、同調主義者の不興を買う。彼らの心の狭さは、私の三畳半の部屋よりも狭いので、何でもかんでも些細な事で怒る。許容限度が狭すぎるので、自由なものを否定するのだ。ドンキホーテもまともに読めないような人間が無謀なことをするかというと、しない。というよりも出来ない。する前に萎縮してしまうのだから。そんな人間に文句を言うのだから、本当に救いがたい。

心の狭い人間が、なぜ心が狭いというと、それは仏教で言う無明ゆえである。

自分は心が狭いのに、広いと思っているからこそ狭いままでいられるのである。彼らは他人に対する認識が間違っているが、自分に対する認識も間違っている。即ち、無明、愚か者ということである。現実に対する勝手な思い込みで人を糾弾し、その思い込みの被害にあっている人間を一方的に黙らせて服従させ、抵抗したら脅す。こういうヤクザ同然の行いができるのも、自分は善良で心が広いという過った認識ゆえである。善意に基づくヤクザがいるわけだ。そんな家族の中で、私は自尊心を削り取られ、権利を奪われ、精神の自由を奪われるという苦しみを感じながら日々を過ごしていた。ハッキリ言って心も体も疲れた。よって、私が最も怒りを感じるのは、現実を正しく認識しない行為である。そういう意味で、アグネス・チャンとか、ああいう偽善的な人間を厳しく非難するわけである。彼女も無明である。善意に基づくヤクザである。私の最も嫌いな人種であり、否定の対象だ。

偽善者というのは善意に基づくヤクザである。人に法外な要求を突きつけ、文句を言えば黙らせようとし、抵抗したら脅しをかける。彼らの行動はいつも同じ。とても汚い。それでいて自分がキレイで善意に満ちた人間だと思っている。存在自体が何か大きく勘違いしている。センスのない馬鹿、それが彼らに向ける私の言葉である。わたしは、そういう人間に育てられたのだと思うと、心の傷が深くなるのも道理である。ドンキホーテを読むと、それがよくわかる。数ページ読んだら、それを閉じてしまう牛歩読み状態がそれを示している。読む度に「ダメだ...心が病んでいる」と感じる。