SKY NOTE

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正当な怒りは、否定するべきものではない

日本人は東京電力原発を憎むのを「やめない」ほうがいい
http://www.bllackz.com/2012/01/blog-post.html

上記のページには、非常にもっともなことが書かれている。一読することをおすすめする。この中には、原発問題について怒る人々を分かったような顔をして諭す人間の愚かしさについて書かれている。

私に言わせれば、正当な怒りを我慢するなどというのは、悪人を増長させるだけで、いじめられっ子の奴隷根性にすぎない。私に言わせると、何も解決しない愚かな発想である。単に冷静なふりをして、逃げているだけである。怒るべきことを怒る人間のほうが問題に真正面から立ち向かっているぶんマシである。

この原発問題は、怒るべきことであり、我慢するべき怒りではない。私の子供の頃、我慢だけをしろと祖母に言いつけられ、そのとおりにしたが、余計にいじめられるだけだった。要するに増長を許してしまう。

最近、Twitterでこんな文章を見つけた。

  • meigenbot
  • 甘えは元来が自制力と節度の欠如がもたらすものである。(立原正秋 心に節度を)

やられた時にただ我慢している人間が何を生み出すかというと、自制心と節度の欠如した存在、つまり、「甘ったれ」を生み出す。この甘ったれた発想が原発を吹っ飛ばし、私達の食卓を放射能まみれにした。昔は体育の先生が怖かった。恐怖で節度を教えた。それが、そこから先は、行ってはいけないという限度や節度を教えていた。しかし、やられた時に我慢をするばかりだと、そういう節度が生じない。やりたい放題だ。そうなると今度は甘えが生じる。そして、それが弱者を苦しめる。そういう大局観を持って考えれば、安易な自制は、逆に増長を生み、逆効果だとわかろうというもの。それが分からぬとは大人として恥ずかしい。

原発は、まさしく恐怖の対象だ。恐れなければいけない。あれが本格的に爆発したら、私達の命が危ないのだから。よって恐れるべきものを恐れるのは当然であり、それを避けるために怒るのは、アタリマエのことなのだ。そのアタリマエのことをして来なかったからこそ、原発が壊れた。恐れるべきものを十分に恐れず、慎重さに欠けていたからこそ、原発が吹っ飛んだのだ。よって、この問題に真正面から立ち向かい、怒って、問題を起こした人間に、それ以上行くなと命令しなくてはいけない。それが今、必要なことなのだ。安易な自省など偽善だ。