SKY NOTE

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偽善が悪を育てる「未だに原発を擁護する人たちへ」

偽善とは、最悪の悪である。なぜならば、悪を助長し、大きくするという、悪の親玉みたいな機能を果たす上に、直接的に悪を実行することはなく、裁かれないので、消滅しません。偽善を退けるのは、人々が、偽善を見破ることのみなのです。世の中が平和になると、偽善がはびこります。それは、悪に対する無知がそうさせるのです。あるいは、悪の本質を理解してないからです。偽善というのは、本質を理解しない洞察力の低い人が犯してしまう過ちで、教養のない人のすることです。歴史や人間に対する洞察がきちんと出来る人は、偽善を見破ることが自然にできるようになっているのですが、そういう能力を持たない人もいます。特に極端なストレスにあって、そこから逃げることのみを糧に生きているような、臆病な人間にとって、逃げるために偽善という悪を実行してしまうという愚行を犯してしまうのです。

私の義理の祖母がそのような人間でした。彼女は、明治時代の男尊女卑の世界に生まれた世代であり、とても苦労しました。その苦労が彼女に恐怖を植え付けました。人に逆らったら、厳しい制裁が待っているとかそういうものです。よって彼女は、正当な怒りでさえも抑えこむような人間になりました。それは自分のみならず、他の人間にも強制したのです。人間は年を取ると、自然に権力が備わるようになります。彼女もその例に漏れず、子供を苦労して育てる過程で自然と権力が備わって行きました。そして、それを私にまで強制したのです。その結果私がどうなったかというと、言いたいこともきちんと言えない少年になりました。今でも思い出すのは、田舎のテクノロジーオタクだった高校生の私は、憧れの秋葉原にいった時のことです。おなかがすいたので、ラーメン屋で小声で注文をしているのを、店員が「聞こえない」といって怒鳴り返されたことです。それだけ私は自分の意見というものが言えませんでした。当然、そういう気弱な人間はいじめられます。私は、家の中で抵抗が許されなかったこともあって、よくいじめられました。よくよく考えてみると、そのルーツは、祖母が無抵抗を私に強要し、従わせた結果だったのです。

普通の人は、自分の意見が言えました。横で見ている私にとって、それは凄いことに見えました。私は自分の言いたいことを正直に言う人間でしたが、同時に争うことは許されておりませんでしたし、体も弱かったので、人に対して自分の意見を貫き通すという事をしなかったのです。そもそも、家ではそういう事をしようとすると、家族から、まるで悪いことをしているかのように非難されました。祖母を中心とした世界では、それが常識だったのです。私は、自分よりも遙かに長い年月を生きている祖母が、致命的な過ちを犯しているという事に気づきませんでした。祖母は常に正しいと思っていたのです。ただ、その正しさに矛盾を感じることがあっても、それに反旗を翻せば、家族から集中攻撃を受けるので、よくわからないが、とにかく正しいのだろうと思っていました。私が論理的に抗議すると祖母は黙りこくり、一切受け付けませんでした。要するに、きちんと説明できないのです。そして、いつもこういうのです。「お前にはわからない」と昔のことをいうように、そういうのです。でも、時代は明治時代ではなく昭和だったのです。昔と違って、男尊女卑の時代は終わり、男女平等、実力主義の時代に変わっていった時代の中で、言いたいことが自由に言える時代に変わっていました。そういう中で祖母の発想は極めて遅れていて、必要のないことでした。

さて、原発問題で、なぜ東電をかばう人間が未だにいるのかというと、まさにこの祖母のように上に立つ者に対して絶対服従をする古い価値観を継承している古い文化の人達がまるでシーラカンスのように生き残っているのです。彼らは何も合理的に説明できませんし、何も理解しておりません。彼らの頭の中にあるものは、「強いものにひれ伏すのが当然であり、当たり前」という奴隷意識の何者でもありません。彼らは、そんなことをしても誰も得をしないのに、とにかく、そうしないといけないという強迫観念に支配された異常な人たちなのです。そして、彼らは非常に恐れています。上に立つ人間に逆らうことを...しかし、彼らに言いたいのは、時代は、もうすでに変わっているのということです。大昔とは違うのだということを彼らに教えてあげたいのです。言いたいことをいい、きちんと正義が成されるのだということを...不当なことを一方的に我慢しなければいけない時代は終わっているのだということを。そして、言うべきことをきちんと言わず、言うべきことを言っている人を黙らせる行為は、悪を助長しているにすぎないことを。

そして、人が...人が...ではなく、自分の態度や姿勢によって他人の対応が変わりうるものだということを理解するべきです。それができれば、私たちは、原発にノーとハッキリ言って、社会を変えることができるのです。服従するのではなく、「こうしろ!」と命令する事が今、必要なことなのです。