SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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「不満」は「最高」を作るための研磨剤

ジョブスは最高のものを作るという哲学を持った人だった。最高とは何かというと、「こうあるべき」という理想が形になったものだ。故に理想がないと最高がイメージできない。とかく日本社会では我慢、忍耐、高望みしないなど、要求を矮小化して小さくまとまることが美徳とされている所があり、そういう事が美徳だと思っていると、チープな発想にしかならない。別に美徳ではなく、利用する側に都合のいい哲学でしかない。安くこき使えるからね。

良いものを作るためには、理想を高く設定しないと不満が生じず、チープなもので満足してしまうため、最高というリッチなものを作れない。よって仮想的であっても高い理想を掲げるべきである。私も基本的に庶民であるせいか高い理想を持っていないのだけど、最高のものを作るときには、頭を切り替えて、最高という基準で考える。普段の生活はハネジューメロン半切れが100円で買えたなどと喜んでいる私だが、最高のものを作るときには、メカの一つ、デザインの細かい所、操作手順、その全てに目を光らせる。

基準は、かなり上に設定する。だから、非常に不満が多くなる。例えば、冷蔵庫ひとつとっても、非常に多くの不満がある。最近の冷蔵庫は観音開きのやつが多い、だが、これだと、冷蔵庫を開いた時、半分しか見えない。つまり、一覧性がないのだ。それにドアが力を入れないと開けられない奴がある。これもダメ、年をとった母は力が徐々に弱くなっている。そんな母にこんなにドアが硬いなんて非常識であるとか、一般的な日本の女性の平均身長は150cm代なのに、冷蔵庫が180cmなのはおかしいとか、ドアの取手は身長の高さに関係なく引っ掛けられるようにサイドに細長く取っ手がある奴がいいとか、自動製氷はメンテナンスが面倒くさいので、普通の冷凍室の製氷皿でいいとか、色々と文句がある。ドアの数は3ドアでいいとか、特殊な冷凍モードや省エネモードは欲しいとか、そういう事を事細かにメーカーに要求していく。そして、最後に「どうしてこんな酷いものを作るんだ」と疑問をぶつける。要求の一つ一つは、すべてユーザーの立場に立ったものである。また、非常識な要求でもない、むしろ合理的かつ真面目なものである。非合理で不完全であるからこそ厳しい批判がぶつけられるのだ。

こういう批判に耳を傾けて製品を作りなおすことができることが、結果として最高になるのである。よって、不満は最高のものを作るための研磨剤といえる。珠も磨かずば光るまいにと言われるが、顧客のクレームは正に珠を磨くための研磨剤であり、なくてはならないものだ。政党にも不満をぶつける。それは最高の政党であってほしいからなのだが、不満をぶつけても、それに対してレスポンスがなかったり、正反対の事をし出すようだと見放すことになる。それは当たり前で、ユーザーの言葉に耳を傾けないのは、要するにユーザーを無視しているわけだから、こちらも無視するのは当たり前なのだ。

最高のものを作るときに、単に既存のものを最高にするだけでなく、今までにないものを「最高」にする事を考えるときに必要な発想は、「今、この社会に何が足りないのか」という問いかけである。例えば、こうあって欲しいということを頭に思い描く、今思い浮かぶのは、放射能のない生活、二酸化炭素もなく、国際経済にも振り回されない安定した経済で、もっとゆったりのんびり暮らしたい。現状ではありえないことであっても、それを仮定して考えてみる。そして、どうすれうばそれが可能なのか具体的に考える。

放射能のない生活
 脱原発:省エネ(LED、断熱ガラス、省エネ冷蔵庫)
 食べ物:フルーツ(東北では作れない作物)北海道の牛乳など
     安心できる食べ物(厳しい放射能基準)
     使えない農地を設定し、東電を清算し、通貨を増刷して、損害賠償金を支払い
      そのお金で作物のかわりに電気(太陽/風力)を作ってくださいと頼む
 水  :浄水器
 空気 :空気清浄機
 土地 :汚染された土地の住民(居住困難な地域)
     通貨を増刷して1世帯あたり2000万円×33万世帯に給付し移転(6.6兆円)

そういう事を仮定して、どんなふうにそれが実現できるのか考えて見ることである。基本的に実行する時の細かいことを、この時点では考えるべきではない。なぜならこの段階でそういう事を考えてしまうと、発想が極めて制限されてしまうからだ。あくまでも最高というものを実現するために何が必要なのか列挙し、その中で、一番効率的かつ合理的であり、実現可能性の高い現実的なものを選択していくのである。そして、そういう提案の一つ一つに厳しい批判を加え、ブラッシュアップしていく事で、より優れた提案になる。つまり、最高とは理想のことである。

理想がチープだと、最高にならない。日本のチープな発想の製品は、やはり、理想のチープさから着ている。もっと大きくユーザーの視点に立った高い理想を掲げて製品開発をするべきなんだが、そういうスケール感のある開発姿勢が成果主義によって廃れてしまったのは残念なことだ。成果主義も勘違いされている。日本の成果主義は、単なる拝金主義にしか過ぎない。拝金主義が求めるものは、目先の収益性というチープな発想であり、金の亡者となればなるほど、発想がチープになりダメになっていく。成果主義の名を借りた拝金主義はダメだね。発想がチープで。発想がチープだと、せっかくの珠も磨かれないので価値も生まれない。よって高く売れない。安物競争に巻き込まれ、赤字になる。赤字になるから業績を求めるために余計に拝金主義になっていく悪循環なのだ。この負のサイクルを自覚し、発想を切り替えないと日本経済の再生はない。