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NHKスペシャル 「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズ」を見た。

NHKスペシャル 世界を変えた男 スティーブ・ジョブズ
再放送12月31日 午後5:00〜午後5:49
http://www.nhk.or.jp/special/stevejobs/

NHKスペシャルスティーブ・ジョブズの特集をやっていたので、ビデオを用意して見た。ジョブズの一生のエピソードを50分にまとめると、ああなるのかなという程、色々なエピソードが省略されて要点をかいつまんでいた。時間的には、この5倍くらい欲しい感じだった。

彼が革新を起こせた理由は、最高のものを作るという哲学にあったと思う。最高ではなく、完成させることを重んじる日本のメーカーの思想とは全く違う思想だ。その違いが垣間見えたのは、NeXT時代のジョブスとエンジニアとの会話だった。ジョブスは「8月までに製品を完成させろ」といった。だが、エンジニアは「どのようにスケジュールを立てるのか」と質問した。それに対して、ジョブズは、「時代は動いているんだ8月までに作らなければ、その技術はトイレに捨てることになる」つまり、糞だと言っているわけだ。

スケジュールについて質問したエンジニアの主張が日本メーカーの発想だとすると、ジョブズの発想はニーズの発想である。エンジニアリングとニーズとのギャップを埋める作業を最高のものを作るという哲学のもとで実現させようとしたジョブズの思想。要するにそれがAppleが躍進した理由なのだ。多くのメーカーは、最高を目指していない、今ある技術の中で完成させることを目指す。そういう意味では愚かではないが、同時に凄くもない。そこにないのは、理想である。こうあるべきだという最高を目指す思想が全く欠落している。故に人の心に響かない、凡庸なのだ。

ものを作るという作業は、極めてロジカルなものだが、そこに理想がないと、とても面白みのないものになる。しかし、夢ばかり追いかけていると、ジョブズ自身もぶつかった問題だが、製品が完成しない。最初のジョブズは、その理想と現実の狭間で失敗した。だが、返り咲いたジョブズは、理想と現実を適度にマッチングさせるという妥協が出来るようになっていた。NeXT時代の製品を見ていれば、妥協を許さず、今よりもずっと進んだ理念で作られていたことがわかるが、しかして、NeXTは未完成だった。理想を詰め込むためにプロダクトが高額になってしまってもいた。しかし、Apple復帰後のジョブズは、知識の自転車を作ることに徹した。それが成功だった。自転車は安くて手軽な乗り物である。理念を捨てたわけではないが、実現可能な理念とそうでない理念を分けて考えることが出来るようになっていた。そして、実現できるものを組み合わせて、最善のものを作る。現実とマッチングした「最高」を追求することが出来るようになっていた。そういう意味では、今あるパーツを組み合わせて最高の製品を作ることに徹したといえる。

それだったら日本メーカーでもやっているよと思うかもしれないが、実際はやっていない。どのように違うのかというと、まず、ジョブズは、実現可能であっても従来の価値観が邪魔するとき、それを切って捨てる英断ができるが、日本メーカーにはそれができない。どうしても、レガシーアーキテクチャが残ってしまう。それが如実に現れたがのがiPhoneだ。iPhoneは、キーは1つだけ、他はタッチパネルで操作する。日本メーカーは、キータイプという従来の価値観を無視できない、なぜなら、完成させることを目的としているから。タッチパネルは、完成度の低い未熟なものとして採用されない。だがジョブズは最高を目指しているから、キーを捨てることが出来る。ここが完成と最高の違いなのだ。成熟と革新の違いと言ってもいいかもしれない。要するに根底にある価値観が違うために、日本メーカーはAppleに追い抜けない。どうしても完成させようという価値観が邪魔して、新しいことができないのだ。

それはジョブズがCEOだったから出来たのだと言われるかもしれないが、実際にはアップル社は、ジョブズがいなくても新しいことをやっていた。それは、文化なのだ。完成させるよりも最高を目指す価値観が優位に立つ企業文化、それがApple躍進の原動力なのだ。つまり、Think differentというわけだ。だが、それが行き過ぎると、95年のAppleのように未完成の技術を作って会社が潰れかけてしまう。だからこそ、製品の完成度をメーカーは追求するのだが、しかし、それに固執して古いものしか作れないとダメなのだ。大事なのは、今できる技術の中で最高のものを過去の習慣に囚われることなく創りだす勇気なのだ。そして、それを完成させるために、全力を傾ける組織的な集中力。それがAppleの強みであり、それがない日本メーカーの弱みでもある。日本メーカーの哲学だと、技術的には出来ても製品を完成させるという価値観がそれを否定するので、日本メーカーがiPhoneのようなものを作ってヒットを飛ばせるということはない。昔はソニーがそういう価値観を持っていたが、成果主義を確実に収益を上げる事と勘違いしてしまった結果、最高を追求するカルチャーが失われ、スペックは豊富で完成度は高いが、新しくない面白みのない製品しか作れなくなって、Appleの後塵を拝する事になってしまった。実は、最高の成果は、完成度だけでなく、最高を追求しなければいけないのだ。この最高というのは、シェアNo.1ということではなく、ユーザーにとって最高という意味、人間にとって最高という意味なのだ。(シェアNo.1だと、単なるウケ狙いでしかないが、人間にとってNo.1というのは、社会的な意味を持つ、ここが大きく違う。ソニーは前者を選び、Appleは後者を選んだ)

そういう意味で日本のメーカーはグッドなものを作れるがベストなものを作ることはできない、しかも最近は、品質管理が中国製品並みにダメらしく、新しいものの初期不良が酷い。グッドですらなくなっているのではないかと疑ってしまうほどだ。だから負けるのは当たり前なのだ。集中力(完成度を高める組織的な集中力)も決断力(革新力)も欠いていれば、見劣りがするのは当たり前なのだ。

日本メーカーは完成させることよりも最高を目指すべき、それも、人間にとって最高であることが大事なのだ。そして、もっと大事なのは現実的な最高を目指すことだ。それが初期のジョブズと後期のジョブズの違い。若いころのジョブズの失敗は、非現実的な最高を追求した結果、開発チームとの軋轢が決定的となり、会社を追い出された。Apple復帰後のジョブズは、現実的な最高を追求していった。そこには、成熟した大人としての最高があった。だからこそ、最高かつ完成度の高い製品が生まれ、ヒットしたのだ。そういう価値観が根底にあったからこそ、他の追随を許さない製品となった。そこがAppleと日本メーカーの違いである。価値観の違いなのだ。日本メーカーはジョブズのように成熟した最高を追求するという姿勢がなかったから負けた。

可能性はあるけど、価値観が邪魔して、新しいものが作れない日本メーカーと、可能性があったら、全力でそのプロダクトに集中し完成度を上げていくアップル社の違いが、ガラケーiPhoneの違いなのだ。ガラケーを一言で言うと、ガラクタ入れである。機能をごちゃ混ぜにして入れた箱のようなもの、そこに一貫した哲学はない。だからジャンクなんだよ。ゴチャゴチャして操作が複雑になってしまい、扱いづらいため機能的に同等であっても、iPhoneに負けた。機能があっても使えなければないのと同じ。そういう意味では一般の人達にとって、ガラケーは、実質的には出来るけどできないハードだったのだろう。だからこそ「デキる」ハードであるiPhoneに負けたのだ。その差は最高を追求する哲学にある。それも現実的な。そこかしこに妥協の跡が見える日本のガラケーと、一貫した哲学で妥協なく作られているiPhoneとでは、使い勝手が違うのだ。

過去のジョブスは、ともすればファンタジーベストを追求していた。だが、Apple復帰後にジョブズはリアルベストを追求していた。日本メーカーはリアルグッドな製品を作ることができるが、ベストではないことで、Appleに負ける。ファンタジーでない分はマシかも知れないが、同時にベストでもないため、ベストな製品に負けてしまう運命にある。

それと、Appleが革新できるのは、一度潰れかけたからだ。負けたら潰れると思うから、最高を妥協なく突き詰めることができる。日本メーカーはまだ、多少、負けても大丈夫と思っている甘さがあると思う。だが、潰れかけたAppleは、負けたら会社が潰れるという切迫感があるため、最高のものを追求する姿勢がある。安易な妥協はしない。そういう意味では、常に背水の陣で戦っているのがAppleといえる。桶狭間今川義元が日本メーカーだとすれば、織田信長Appleである。Appleに勝つためには、織田信長に勝つつもりで戦わないとダメだ。相手が妥協を知らないのだから。