SKY NOTE

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今年のブログ記事の反省点 その1 「知識が足りなかった」|「悪に対する理解が足りなかった」

私は、物事の演出やイメージなど、そういうものを取り外してみる習慣がある。というのは、人にだまされないために必要なことは、騙す奴の演出を切って捨てることから始まるからだ。演出やイメージ操作のテクニックを理解し、そういった技術を多用している主張には耳を傾けず、その話の内容の中身だけを抽出し、冷徹に評価することで真実を見定める。大体の嘘の主張は、このやり方で見破れる。あとは、常識に相当する知識、知識がないと嘘は見破れない。知識がないと、テクニックを多用し、うそ臭いと思っても、その嘘のどこが嘘なのか分からない。そうやって私は嘘を見破る方法を実践してきたが、原発問題では知識の不足が響いてしまった。暫定基準の数値がいかに高く、健康に害があるかという知識が足りないため、最初のうちは、その暫定基準を基準としていた。情報源であるウィキペディアも当初は、100msv以下は大丈夫という表記だった為、間違った情報を流してしまった。また、原発情報における人権を度外視した日本政府の対応も想定外だった。普通政府は、日本国民のために動くのであって、その国民の生命財産に危険が及ぶとき、それを最優先に考えるという不文律があるものと思っていた。通常の災害の時は、日本政府はそういう対応をしていた。だが原発問題は違った。原発問題の場合、巨大な責任や経費を回避するために国民の人権を無視して行動する政府の姿がそこにあった。どうも自然災害のように相手が神様の時と人間とは、責任の所在が違うのだ。よく、原発問題は、自然災害だといって責任逃れをするのだけど、そういう事をしなければいけないのは、そもそも人為的な災害だからである。神様が相手ならば「仕方がない」で済んでしまう。原発問題は「仕方がなくない」為、人の批判が怖くて右往左往する政府、だが、最も恐るべきなのは、そういう事をして信頼を失うことなのだという基本的なことが分かっていないのは、馬鹿だと思った。つまり、ある種の悪の実態は馬鹿なのだと知った。あまりにも馬鹿すぎて理解できなかった。信無くば立たずという状況が最も恐るべきなのに、それを、理解できないとは、歴史の教養が足りない。政治というものが分かっていないと感じる。政治にも不文律があるが、それが理解できず政治家になっている馬鹿が存在するという自体が想定出来なかった。私のよくやるミスに、自分の常識から逸脱したものをきちんと把握していないというのがある。不文律という常識をいとも簡単に乗り越えてしまう馬鹿の存在に対して、理解が足りなかった。そもそも、経済的に考えても合理性が全く無いのだ。きちんと避難させなければ、その後、莫大な医療費となって跳ね返ってくる。そういう長期的な現実感覚から見れば、経済的にも早く避難させる事を考えるべきなのに、それをしないというのが、愚かだと思った。目先の事しか考えていない。目先の苦難を乗り越えるために、己を切って捨てる覚悟がない政治家の見苦しさというものを見てしまった気がする。ただ、相手を馬鹿だと言ってしまい自分の認識の甘さを回避してはいけないと思うし、そうでないと次に繋がらない。ある意味、私は不文律に甘えていたのかもしれない。時として不文律は厳しい要求をする。それに耐えられない弱者の存在を理解することなく、現実を直視する事はできないというのが、今年の教訓だった。

私は、多数の人間を苦しめてしまう責任の方が、東電のような企業体を苦しめるよりもずっと、厳しい重さだと思っていたから、本当に責任逃れをするならば、東電をさっさと切るのが、正しいと思うのだが、わざわざ責任の重い方を選ぶのは、馬鹿のなせる技なのだろうか?

大体、悪いことをしているものを裁くのには、ある程度責任は問われない。死刑制度があるということは、殺人まで正当化できるということだ。だから、悪いことをした東電を裁くのは、大儀という点から見て、全然問題がない。私は弱い人間だから、大義の成り立つ方を選ぶ、なぜなら、大儀に逆らうという事は、大義を敵にまわすということであり、それは自己の敗北を意味し、その敗北は、あらゆるものの喪失となって現れることは、目に見えているからだ。それに人の健康を害するというのは、非常に長期的な問題で、そういう長期的な問題を背負うことを考えたら、どう考えても、東電を潰すほうがとても楽だと思える。

同じ弱者だとしても、なぜ、そういう楽なことを選ばないのか私には理解できなかった。