SKY NOTE

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過剰に人に謙虚さを求めるのは、小さな心の大きなワガママ

TeckCrunch:「人間は一人々々がみんな天才」と説くGina Rudanにインタビュー
http://jp.techcrunch.com/archives/20111209keen-on-gina-rudan-how-to-find-your-g-spot-tctv/

この記事を読んでいて、思ったことを書いてみたい。

  • 度量の小さなひとは、小さな波風であっても、自分の度量が小さいので、コップの水が波立つ程度の小さな問題でも針小棒大に解釈し、黙らせたりする。こういう人は、ルールのない世界にいた人である。通常ルール(分別)のある世界では、大きなものと小さなものが区別され、小さいことは放置され、重要なことは文句を言われるという区別が付いている。だが、この区別のない環境にいた人は、小さなものと大きなものは同じ、まるでインフルエンザのパンデミックを恐れるかのように些細なレベルでも大きく受け取り対処する。
  • このような人の下にいると、強く謙虚さを求められる。だが、それはほんの小さな上昇志向すらも認めない、あるいは、基本的な人権すら認めないというものであり、とても不当なものだ。そういう小さな自分の心のサイズに他人を閉じ込めようとするのが、そういう人の姿勢である。よって、こういう環境に育った人は、どうしても自分の才能や能力をちょっとでも発揮したら、なにか悪いかのような感覚を持つ、それは、そういうことをしたら、度量の小さな人が必ず文句を言ったからである。
  • そういう意味で、私はできるだけ、自由を大切にしてきた。多少のルール違反行為も自由のためだといって、自由にしてきた。だが世の中にはルールを守らない人も多く、議論において、人の話を聞かない、反証に対して答えない、最低限の調査もしない、他人の中傷でしかない、事実とは違う主張などをする人ほど、自分の発言の自由を言いたがる。だが、これらは議事進行に必要な基本ルールを守っていないのであり、こういう人の行為を放置すると議論そのものが破綻するという大きな問題になるので、そういう大きな問題を起こした人については黙らせても良いと私は考えている。つまり、小さな問題と大きな問題を区別している。その理由も公の理由でなければならない。これが分別に相当する部分なのだ。この基準いかんで、小さな人間にもなりえるし、大きな人間にもなり得る。
  • 度量の小さな人は、自己と他者を融合して解釈する。私は分離して考える。違う価値観があって良い、しかし、事実を否定したり、人の話を聞かなかったりなど、非常に低レベルなものを私は自由とは呼ばない。それは自由ではなく不法という。私は自由を認めはするが、不法は認めない。そして、他人の正当な自由を不法だとも言わない。他人に極端に謙虚さを求める人は、自分の心が小さいので、他人の自由を不法行為だと判断する。だが、それは不法ではなく自由なのだ。そういう意味で、自分の小さなコップに他人を入れようとする人について、私はこう思う。
  • 「過剰に人に謙虚さを求めるのは、小さな心の大きなワガママ」by skymouse