SKY NOTE

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橋下氏勝利に見る日本の民意

大阪市長大阪府知事選において、橋下氏が主導する大阪維新の会が勝利した。これによって大阪都構想が進展することになる。この選挙が示す事は、既成のマスメディア、及び、政党に対して、市民が全く信頼をしていないという事である。

つまり、現在の民意は、マスメディアや政党に対してNOと言ったわけだ。橋下氏の事を他の政党は独裁と非難した。しかし、今の民主党政権、あるいは、日本の行政全体が既得権集団に支配され、身動きがとれなくなっている状態からすれば、それらを打破するのに、強力な権限を持った存在が必要なのは、誰の目にも明らかであり、その点において、橋下氏のメッセージは明確だったと思う。故に大差で勝利した。これは、国政の流れも左右する結果だ。既成政党、既成マスメディア、そして恐らくは経団連を中心とする経済界、そのすべてが全く信頼されていない。

この流れの先には、日本の大統領制への移行が見えてくる。現在の行政の長としての総理大臣制では、権限が小さすぎて国をまとめることができない。政治家が劣化していることもあるが、行政の腐敗の根が深すぎて、何事も決められない。決めるためには、大統領制と国民投票法による強力な意思決定制度が求められている。大阪の決断は、恐らく日本全体の民意だろう。3.11以降、あまりにひどい政党の劣化、行政の劣化、マスメディアの劣化を見せつけられた国民にとって、これらの劣化した存在を一掃する強力な意思決定制度を人々が求めているのは明らかだ。既成の政党は、新興政党によって消滅する可能性も出てきた。もはや、二大政党政治ではなく、既成政党消滅の序曲が始まったと感じる。

日本は大統領制に向かうべきだと思う。既得権集団が議会制度を支配した結果として、この国は、頻繁に総理大臣が変わる国になった。昭和天皇崩御された1989年から、この傾向が続いている。ある意味、昭和天皇の存在そのものが日本の意思の主軸、コンセプトだったのかもしれない。だが、それがなくなったがために、行動の支柱を失った日本の支配層は私利私欲に走った。もともと理念などかけらもなかったのだが、昭和天皇がいたからこそ、そこを中心に物事を回すことが出来た。それが崩御され、失った後は、支柱を失い何も決断できない、だらしない国になってしまった。日本には新しい支柱が必要かもしれない。それが大統領制というのならば、そうなのだと今は思う。大統領制の民主主義国は沢山ある。大統領を独裁者とは呼ばない。独裁者とは、アラブを見れば分かる通り、私利私欲に基づいて民衆を支配する者のことであり、社会に貢献する指導者を独裁者とは呼ばない。要するに私利私欲と公の違いである。たとえ民主的であっても、特定の集団の利益のみを代弁し、他の意見を徹底排除するようであれば、それこそが独裁である。そういう意味で、スティーブ・ジョブスを見てみたい。彼を独裁者だという人がいたが、私は彼をイノベーター(革新者)だと思う。独裁者と革新者の違いは、その死に現れる。独裁者が死ぬと、誰もが喜ぶが、革新者が死ぬと、多くの人が悲しむ。その違いは私利私欲と利他の違いである。

その点において、橋下氏よりも議会のほうが私利私欲にまみれ腐敗しているように見えたから、彼らは信頼されず敗北したのだと思う。それは、国全体にも言えることであり、それがどういった結果をもたらすかは、新しい政党がどの程度、議員を次の選挙の投入できるかで決まるだろう。