SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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今日はゴーヤを片付けた

母が春菊を植えたいというので、ネットで春菊の種を注文しておいたのだが、それが今日来たので、空いているプランターに植えた。しかし、2つしか植えられないので、空きプランターを増やすために「ゴーヤを片付けろ」という命が私に下ったのだが、ネットに絡みついたゴーヤは、いかにも取りづらそうで、やらないでいると、母が自分でやり始めたので、観念して、片付けることにした。やってみると以外にも、つるを引っ張ると、結構上手く外れてくれるので、「ああ、そんなに大変なことじゃなかったな」と思った。「案ずるよりも産むが易し」というのはこういうことなのかなと思った。ほんでもって、春菊の種を蒔いた。

ゴーヤは、小さな実が沢山できたが、食べられるような大きな実が出来なかったのでガッカリした。そこで、来年は「きゅうり」を自分は提案している。同じウリ科ならば、つるが伸びて、日よけになる。今年のゴーヤは日よけにしかならなかった。緑の日除けが結構、よかったのだが収穫までは行かなかった。来年は、日よけと収穫の両方を得たいものだ。今年の教訓は、化学肥料は土が硬くなってダメでゴーヤの実が小さくなってダメだということだった。春菊を植えるときにイモムシが出てきたので、化学肥料の影響がなくなり、生態系が蘇ってきていると感じた。土も柔らかくなったし、水槽を掃除した時に出た魚のフンの混じった水も植物に与えているので栄養的には良いはずだ。今日の印象は、イモムシがいることだった。生命力のある土になりつつ有ると感じた。

土が蘇る姿を見て、この国も蘇ることが出来るのだろうかとふと考えた。イモムシが戻ってきたのは、イモムシが生きられる条件が整ったからであり、そのイモムシを日本人に例えると、日本というプランターの土は、どんどん日本人というイモムシにとって住みにくくなっていくような気がしてならない。自分のエサを作れなくなり、放射能で汚染され、踏んだり蹴ったりだ。私は、国際経済という化学肥料から、自給自足経済という有機肥料に変えるべきだと思う。どうも土が硬くなって駄目だ。作物が育たないし、イモムシも生きていけない。そんな感じがする。