SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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批判するだけという思考停止

他人の意見に文句を言うだけで、自分では何も考えないという思考停止がある。問題点を列挙することは誰でも簡単にできるが、それに答えるのは難しい。それは、言うは易し、行うは難しと似たものがある。どうも、相手を困らせる難しい問いかけをした自分は偉いと思っている。そして、それに困ってしまう人間を見て優越感を感じている。つまり、この種の人間は問題を解決することよりも、自分が難しい問いかけをして、それに困惑する他人を見て優越感を得るという、問題解決とは関係ないことをしているようだ。だから、こういう人間がいても議論が空転するばかりで進展しない。彼らは問題を列挙したり複雑にすることで、議論を困難で難しいものに変え、解決から遠ざける。本来の問題解決とは、複雑な問題を簡素にし解決可能なものにする事であるので、彼らの行動はそれと逆行する。
 
彼らの目的は、相手の上に立つことであって、目の前の問題を解決することではない。よって、建設的な議論は望めない。他人に無理難題を言って困らせ、それによって権力を獲得するのが目的なのである。こういう人間が弱いのはハッキリものを言う女性で、特にこういうセリフ「で、あんた、それについて何かしたの?」とか、「文句ばかり一流で、解決策は?」とか、そういう行動や思考という能動的なアクションについての指摘をすると、大抵、その種の人間は逃げていく。何もしていない本当の自分の姿を、こういうハッキリものを言う女性は一瞬で見抜いて「見える化」してしまう。その結果、尻尾を巻いて逃げていく。逆に、そういうことが言えずに、中途半端な対応をする奴に出会うと、カモを見つけたと思い、喜々として議論を挑んでくるバカがいるが、そういう中途半端な人間であっても相手の本性は分かっているので、内心バカにしているのである。要するに彼らは中途半端な人間にすらもバカにされる何もしない人間「ゼロ人間」なのである。考えもしない、行動もしない、そのくせ文句だけ一流。でも中身はゼロ、上っ面一流みたいなお中元の箱だけのような奴。そういう情けない人間だと皆が思っている。だから、排除されるし無視されるし切り捨てられる。でも、本人は偉い自分がなぜ排除され、切り捨てられ、無視されるのか分からない。

だから、批判するだけと言う「ゼロ人間(文句だけ一流人間)」にならない事が大切。いくら難しいことを言って威張っても、その正体は皆に見透かされ、バカにされ、切り捨てられるものだから。いい疑問とは、子供の疑問である。子供の疑問は、知りたいと言う純粋な欲求に基づいている。よって、その疑問に答える事は真理を探究するのに有効である。だが、自分が威張りたいと言う邪な目的の疑問は、問題解決に役立たないばかりか、問題をより複雑にして、解決を阻害する。よって、こういう人間は無視される。相手にされない。

人から相手にされるまともな人間は、批判するだけでなく、自分できちんと考え、建設的な意見を言う人間だ。問題を複雑にして他人に丸投げして逃げるのがゼロ人間、問題を引き受けるのが中身のある人間のする事である。くれぐれもお中元の箱だけみたいな人間にならないことが大切、特にこのような問題山積の時期はね。そういうフェアな姿勢が大切なんだと思う。そうじゃないと、現在の日本国政府のようになってしまう。現在の国会の有り様は、「思考停止政府」「文句言うだけ政府」といっても、いいくらい情けない。でも、私達もそういうことをしていたら洒落にならないとも思うのだ。
 
それと、私は本当に偉い人間を知っている。本当に偉い人間は、答えが出せる人だ。天才の義父がまさにそれだった。私が疑問を言うと、まるで自動販売機のように一瞬で答えが返ってくるので、よく舌を巻いたものだ。そういう人間を見ているから、それとは逆の対応しかしない人間が自分を偉いと威張っても、全然偉く見えない。むしろ、バカにしか見えないのだ。

減点主義的な批判と建設的批判は違う。