SKY NOTE

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なぜ日本は改革が出来ないのか?

なぜ日本は改革できないのか考えてみた。

1.衝突を嫌う文化

  • まず、衝突を嫌う文化がある。改革とは既存の価値観との衝突である。故に、この文化を過剰に意識することは、結果として改革を放棄することになる。どんな時代でも改革が必要となることはある。そして、そこには必ず過去との衝突がある。それを避けるのは美徳というよりも、臆病に等しい。改革の必要性を理解していない証拠である。衝突をしてでも前に進む必要があるまでの意識がない。どんな人間でも、せっぱ詰まれば衝突も辞さないものである。なぜなら、それが必要だと理解しているからだ。しかし、それがないのは、それを十分に理解していないからだ。
  • キーワード:必要な衝突を受けて立つのはむしろ美徳(勇気)、それを避けるのは臆病者

2.団結できていない

  • 改革をするためには、過去の価値観の集団と対峙しなければいけない。大抵、古い世代は権力も人脈もそろっており、時代遅れということをのぞけば、盤石といっても言い組織力を持っている。この組織力を覆し、改革を行うためには、相互に団結する必要がある。明治維新薩長同盟から実質的に始まったことから分かる通り、改革には団結が必要である。分断していてはダメだ。そういう意味でFacebookTwitterで団結し、エジプトの独裁政権を倒した若者たちは注目に値する。日本ではまだ、人々は団結できていない。なぜならば、不満がエジプトほど強くないからだ。不満が大きければ、それに比例して団結力が高まる。日本で言えば、源頼朝が「いざ鎌倉へ」との号令の元、源氏を集めて公家社会を打倒し、武家社会を樹立した時と重なる。当時の武士は公家の下であり、不満がたまりに溜まっていた。その不満を頼朝がくみ取る形で団結が実現し、鎌倉幕府が成立した。つまり、不満が足りない。我慢を美徳だと考えているフシがあるが、それは飼いならされたイヌの哲学であり、奴隷意識の何ものでもない。過剰な忍耐は、結果として、その反対側にそれを利用した搾取者を生むことになり、きわめて公平ではない社会を生む温床となる。よって、それは間違った考え方である。団結をするには、皆が正当な不満を持ち寄り、それをTwitterFacebookで、その不満を共有して、古い世代に「あなた達の時代は終わりだ」と宣言する事が必要である。そうでないと過去に社会全体が押しつぶされてしまう。皆を守るために過去を否定するのだ。そして、そのための不満は正当なものであり、我慢するべきものではない。不公平を我慢せず団結し、過去を打倒することが大事。薩長同盟を実現させた龍馬のように。
  • キーワード:我慢しない(正当な要求はむしろ我慢せず表明すべき)
  • 不満が団結する市民を生む、安易な我慢は奴隷を生む

3.継続できていない

  • 全共闘運動が継続できず、なぜ失敗したのかという事を当時の世代に聞いたところ、テーマの共有が出来ていなかったからだということだった。つまり、大学ごとに考え方がバラバラで、それぞれが別々に行動していた。それはチームプレイが出来ていないスポーツチームのようなものだったのだ。チームワークを実現するためには、皆が一つの目的に対して意思統一が出来ていなければいけない。つまり、運動で言えば、その運動をなぜやるのかという考え方の共有が出来ていなかった。何のために何をするのかという理由付けがきちんとしていないと、それは継続できなくなる。お祭りと同じようなものになってしまう。そこで、皆が一つにまとまるような考え方をまとめ、それを皆で共有することが必要となる。日本を牛耳っている連中が最も恐れるのは、市民が一致団結して、それを継続できる事である。団結と継続が結びつければ、それは大きな力となり、社会を変える力となる。そのためには、目的の統一、考え方の組織化が必要である。
  • キーワード:チームプレイ(意識の共有)

4.悲観的すぎる。客観性がない

  • あらゆる改革には障害が付き物である。よって、改革には障害をものともしない楽観性が必要である。日本人の悲観性は非常に不健康であるが、それは長年にわたるマスメディアの脅し文化に汚染されているためだと思う。日本の大手マスメディアは体制側に経済的に取り込まれており、彼らは、真実を報道しないかわりに、体制側に有利な恐怖をもって市民に絶望を与え、人々の権利意識をくじいている。やっていることは、ヤクザと基本的に同じである。ヤクザと違うのは、合法的にそれを実現しているという点だ。しかし、インターネットで化けの皮がはがされつつある。例えば、原発だが、全部廃止しても、今年並の節電をすれば、火力発電と水力で電力は足りる。しかし、それをテレビ局は一切報道しない。本来、足りないというのならば、日本にどれくらいの発電施設があって、どれくらい需要があるのかというきわめて当たり前のことが報道されてしかるべきだが、それが具体的に報道されないことがない、特に数字をぼかした相対値(%)がよく使われている。これは、相対値だと基準となる数値を選ぶことで、情報操作が非常にやりやすいからだ。そうやって人々を悲観バイアスをかけて、市民に妥協をさせ、その妥協を体制側が利用し、利権を貪るという構図となっている。物事を悲観しないために必要なのは、こういう脅しを無視し、物事の絶対値によって解釈し問題の規模を定量化することだ。定量化すれば、どの程度のことをやれば、その状況がクリアできるのか明確になり、結果として、必要以上の悲観からは開放される。つまり、問題の定量化による客観性が必要なのだ。問題の認識をあいまいにするほど不安が生じ、悲観しやすくなる。具体的に把握し、問題を限定することで、不安が抑えられ、悲観しなくなる。曖昧な報道は、不安を生じさせ、人々を悲観させる。ネットで具体的に把握し、状況を客観的に把握すれば、悲観することはなくなる。
  • キーワード:問題を定量化せよ。(相対値ではなく、絶対値で)

まとめ

  • 衝突を恐れず、むしろ受けて立つ、正当な不満は我慢せず共有して団結する。問題解決を他人任せにせず、自分達で考え、その考え方を皆で共有して、一つのテーマを樹立し、それを中心にして継続的に問題解決に取り組む、障害に対して、悲観するのではなく、その障害を定量化して、どの程度の問題なのか客観的に把握して、むやみやたらに悲観しない。これらのことが実現できれば、日本でも改革が出来るようになる。

 

  • 勇気、団結、継続、客観(楽観)
  • それが日本を改革するために必要であり、そのためには以下のことが必要である。

 

  • 1.勇気:改革に衝突は付き物、避けるのではなく、受け入れるべき
  • 2.団結:不満が団結を生む、よって、正当な不満は我慢せず、共有する
  • 3.継続:問題解決を他人任せにせず、自分達で考え、意識を共有することで継続する
  • 4.客観:問題を定量化し、その規模を客観的に把握することで、むやみに悲観しない