SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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物語とは何か?

物語とは何か?

第一章 物語とは整理された情報

  • あまりにも自分が物語を書くのがヘタクソなので、物語について考えてみた。物語とは、整理された情報だと分かった。つまり、順序立った系統だった情報ということである。もっと言えば、階層ピラミッド構造をもった情報だということだ。私が物語を書くのが下手なのは、つまり、この情報の整理を全くしておらず、全く構成がなっておらなかったからだ。思いついたことをそのまま書いている。時折、興に乗って書ける時もあるが、それは、何度も何度も考え、自然と整理されているとき、つまり、頭の中で既に考え抜いているからだ。しかし、これが全く新しいことだと、それほど考えていない。だから、整理されてもいないし、系統だってもいない。だから、物語にならない。

 
第二章 物語は欲や感情の代弁者

  • 単に系統だった文章というのならば、単なる説明文である。物語と説明文とは何が違うかというと、説明文が「理」の文章だとするならば、物語は「感」や「欲」の文章だということだ。しかし、単に欲望を代弁する文章なんてものは面白くもなんともないので、物語とならない。そういうつまらない文章は以下のようなものになる
  • Aは、1億円を拾って金持ちになってハッピーになった。嬉しいな
  • この文章は何の欲望も喚起されない。なぜなら、そこに説得力のある「理」がないからである。だから、ストーリーとは、欲望を代弁するものなのだが、その欲望を正当化する「理」を入れないと、全く面白くないわけだ。つまり、欲望を表現する文章でありながら、実際にはそれを、正当化する為の「理」がないといけないのである。

第三章 物語を正当化する為には「理」(ことわり)が必要

  • 私は「理」については、大体、考えつくことが出来る。だが、それが「整った理」つまり、「整理」されていないのだ。だから、私が事実を喋っていても、それが他人に伝わらないのは、この整理された理になっていないからだ。どうして、それに私が気づかなかったのかというと、自分の頭の中では、整理されていなくても補完される形になっていて、私自身は理解できているのに対し、他人には、そういった補完要素が全くないので、理解できず伝わらない。思えば、自分の言っていることを理解できるのは、学校でも成績が優秀な人ばかりだった。それは恐らく、その整理されていない情報を補完する知識を彼等が持っていたからだ。そう思うと私には、映画が好きでストーリーを書くのが巧い知人がいたわけだが、彼は私の言っていることが分かった。恐らく私の意見が分かるような人間は、整理されていない私の情報を再整理できているので、他人を説得する能力を持っていたと思う。逆説的だが、私が無能であるがゆえに、その無能を補完することの出来る彼等は有能ということになる。

第四章 物語の「理」を強調する為には「道」が必要

  • さて、欲望を説得するだけの「理」について、優れたものというと、テレビショッピングが挙げられる。私がテレビショッピングについて全く欲望が喚起されないのは、その「理」を上回る知識を持っているからだ。例えば、彼等は声のトーンや身振りなどで感情的に商品の良さを強調するのだが、まず、そういうテクニックはわざとらしいので、フィルタリングされてカット、強調された機能や性能も技術的視点で、その限界や程度を把握しているので、あまり素晴らしいと思わない。だが、普通の人を説得するのには充分な説明であることは分かる。ただ、そんな中で、たかた社長の説明はいいと思う。なぜなら、ユーザーにとって価値のある機能の説明を誠実にやっているからだ。つまり、正しい「理」を貫いている点で、たかた社長は評価できる。つまり、理の中にも「道義」というものがあり、道を貫かない説明は空虚となるが、それが貫かれていると説得力を持つことになる。これが物語の中でヒーローが登場する所以である。つまり、道を貫くヒーローがいて、理を説明するからこそ、そこに説得力が生まれ、それが欲望を正当化するようなものだと、面白いということになる。だが単に正義の味方が登場しても、何の説得力もない、正義が正義であると説明するためには、強力な悪が必要なのだ。バットマンのジョーカーなど、そういうのが必要なわけだ。

第五章 欠点という悪(共感できる存在)

  • 例えばDEATH NOTEの事例だと、Lは私と同じく、他人に自分の考えを説明するのがヘタクソである。しかし、その理由は、わたしと違って、彼は天才であり、誰もその超越した論理を分からないという設定になっている。だが、結論が彼を正当化するので、皆、渋々、従う。だが、そんなLを誰もが応援したくなる。なぜなら、誰もがそういう理解されないジレンマ(良いところと悪いところの葛藤)を抱えているから。つまり、Lという存在は、皆のそういうジレンマを代弁しているのである。日本人は説明が下手だというが、Lという存在も極めて説明が下手である。彼がキチンと物事を説明できていたら、恐らく、月は絞首刑になっていただろう。なぜなら、月のあらゆる行動パターン、心理を読み切り、しかも、キラとしてほぼ特定していたわけだから。しかも、かなり早い段階で。これだけ知的に優位性を持っているのに、それを結果に結びつけられなかったのは、彼をサポートする人材が非力だったからである。情報収集ひとつ取っても、アイバーやウェディを最初から活用していたら、初期の月程度ならば、あっという間にDEATH NOTEを使っているところを把握され、逮捕御用となっていただろう。例えば、盗聴器もそれがあることがバレずに仕掛けられる。ドアの仕掛けもウェディに見破られ、部屋に侵入されたことを月に把握されることもなく盗聴でき、DEATH NOTEを使っている様子をビデオカメラで撮られ、そこで終わりである。つまり、アイバーやウェディなど、自分の説明をきちんと把握し、実行してくれる人材がいたのにも関わらず、それを最初から使わなかったことが、Lの敗因である。つまり、実行面で自分の作戦を履行してくれる人材の起用が遅れたことが成否をわけた。あのストーリーを継続する上で必要だったのは、無能な日本警察だった。優秀な人材を加えてしまうと、Lが勝ってしまって、ストーリーが続かないのである。だから、アイバーやウェディのいたヨツバ編では、月が記憶を失ってキラとして存在しない。存在していたら、月がLに捕まえられていたからである。

第六章 理を強調するジレンマというデフォルメ(強調)

  • つまり、こういうジレンマが人々の共感を生み、その結果、Lの人気が上がったわけである。日本人の説明下手というジレンマの代表格だったから。そして、Lと言う存在は、基本的に誠実な人間であり、それを実現する為に手段を選ばないところがあるが、相手に対して、それを選ぶ余裕がない事を知っているからこそ、そうしているのであって非道な存在ではない。ある意味、物事を一段、高い位置からの正義を実践している。(それは読者の視点でもある)そういう意味で「道」を貫く存在であって、その行為に説得力が生じる。純粋な「理」という意味ではLは、非常に象徴的なキャラクターなのだ。逆に月は、過去の独裁者が辿った道を歩む事で、悪の道をひた走る。悪の実態は独善である。他を省みない善、それが悪の実態なのだ。だから、アグネスチャンも、その定義に当てはまる。自分の作った規制によって性犯罪が増えたのに、それでも尚、自分が正しいというのは、月と同じく独善である。他を省みない正義が悪の実態である。泥棒の正義とは自分が他人のものを奪って生き残ることである。つまり己が生きることが正義、だから、人のものを奪う。しかし、その代価として他人の財産が失われる。その理不尽さを悪というのである。だから危険な原発を存続して、その利権を貪ったり、生きる為に、周辺住民の危険を省みない。それを悪というのである。だから、「生きる為に仕方がない」という言葉を言う前に、「本当にそうなのか?」という疑問を持たないといけない。そうでないと、簡単に悪というダークサイドに落ちるから。

第七章 面白いストーリーとは理のジェットコースターである

  • 正義と悪の戦いは、そういう人間のジレンマを描くことで誰もが共感でき、そして、苦難の末に正義が実現された時、人々が正しいことを行ったという満足感が得られるのである。ストーリーとは、それを正当化する為の「理」を順序立てて、丁寧に説明(構成)する為にある。だが、その順序が単純だと面白くないので、ジェットコースターのような不安と恐怖を交えながら説明するのがストーリーなのである。そして、人の理を表すのがストーリとも言える。故にダメなストーリーとは、ダメな人間を示すわけだ。