SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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善意が悪に変わる時

祖母自身には悪意はなかったが、祖母のやったことは悪だった。そこで、祖母を通して善意が悪になる過程とは何なのか考えてみた。

祖母の意思は、問題のない社会、争い事の全くない家であった。その目的を達成する方法論に人道的でない方法を選んだ事が祖母が悪になってしまう理由であった。つまり、目的は善であっても、それを実現する手段が悪だったわけだ。手段が悪ならば、その結果も悪となった。

1.平和を実現するために、個人の自由を奪った祖母

  • 祖母の選んだ手段はひと言で言えば、独裁、家族を自分の意思の元で統一する事だった。その為に、反論する人間を徹底的に無視した。正確には無言で逃げた。この結果、個人の意志は無視され、自由がなくなっていった。

2.平和を実現する為に、弱者を黙らせた祖母

  • 横柄な家族の被害に遭っているものを我慢させ、横柄な行為をしているものを放置した。これは、横柄な人間に何を言っても言うことを聞かないという思い込みと、逆に謙虚な人間は自分の言うことを聞くと言うことで、弱気を挫き、強気を助けるというアベコベな行いをした。彼女はこの点で道理に外れた行為を繰り返した。結果として、弱者はより苦しみ、強者は野放しにされて傲慢に拍車がかかった。平和とはほど遠い世界だが、争いは弱者を犠牲にする事でなくした。

3.平和を実現する為に、自分の「正しい考え」を優先し、他人の尊厳を無視した祖母

  • 人の尊厳よりも自分の思想を優先し、自分の考え方が正しく、その正しさの前では、他人が犠牲になる事は仕方がないと考える。要するに自分勝手だった。その自分勝手さを正当化する為に家という公共的な意味を持つ言葉を使ったが、別に公共的ではなく、自分の私的な思想を実現する器としての家であり、家族の為の家ではなかった。人権の概念が十分徹底されていない考え方。人よりも、考え方が優先されてしまうところ、それが祖母の過ち

この三つの「過ち」からわたしが学んだ事は、以下の三つの事である。

1.平和を実現する為には、個人の自由を尊重する事

  • しかし、自由とは責任が伴うもの、その責任を果たさぬものは、結果として他人の自由を侵害するものとして否定して良い。つまり、犯罪行為、不正行為は否定して良い。

2.平和を実現する為には、弱者を黙らせない事

  • 誰でも喋ってよい、発言の自由はある。しかし、これも自由に対する責任があり、それは他人の発言の自由を妨害しない事、その責任を果たさぬものは、否定して良い。同じような質問を繰り返して、結果的に話を空転させるような議論は否定して良い。(議事妨害行為は否定して良い)

3.平和を実現する為には、理屈よりも現実を優先する事

  • 理屈よりも現実を優先するのは、正義は現実にならなければ意味がないから。理屈が先走ってしまうと、現実とのギャップが悪になる恐れがあるから。もっと言うと、東西冷戦のイデオロギー対立を見れば分かるが、考え方が違うだけで戦争が生じて人が死ぬというのは極めて馬鹿げている。頭の中で済ませる事は、頭の中だけで済ませば良い。

そして、最後に
4.大義があっても、その手段は、何でもイイという事ではない事

  • 例えば、平和だとか、公平だとか、言っても、それを実現する為だから、個人を無視していいとか、他人を黙らせていいとか、他人を見なくてイイとかいう理屈は通らないという事。むしろ、平和とは個人をよく見て、よく聴くことが大事。その上で最も正しいと思える事をするべきである。なぜそう考えるのかといえば、人間が過ちを犯す動物だからである。つまり、過ちを補正する仕組みが必要なのだ。その為には、周りをよく見て、よく聴くというプロセスを排除するような事を絶対にしてはいけないのだ。だからこそ、明確な根拠もなく、理念だけで人を裁くような事はしてはいけないのだ。祖母は、周りを見ていなかったし、聴いてもいなかった。だから過ちを犯した。善意があっても、それを正しい方向に補正するプロセスを省いた為に悪になった。善人とは、そうやって悪人になるのである。

 

  • 祖母の善意は「盲目の正義」と言える。目と耳を失った正義だった。故に自分がアベコベの方向に向かっている事に気づかなかった。目を閉じ、耳を塞ぎ、ひたすら頭だけで正義を実現しようとした人だった。自分の心の中だけに正義があり、それを実現する為に邪魔なものは全て退けたが、それは悪でしかなかった。過ちを正す羅針盤を捨てた祖母は、正義という目的地まで航海する事は出来なかった。間違った方向に向かっている事を私のような船員が忠告しても、それを聞き入れなかった。航海士の意見も聞かず、ただ、自分が信じる方向を信じた祖母、しかし、心の中の羅針盤は、現実の羅針盤が示す方向とは別の方向を示しており、彼女は悪という目的地にしか行けなかった。彼女が到着した場所は、悪という名のサルガッソーでしかなかった。彼女は言う「仕方がない」と。しかし、実際は、私の意見を聞けば、正しい航路は示されていた。ただ彼女はそれを聴かなかっただけ。それをしなかったばかりに、周囲を苦しませた。人を苦しませても「仕方がない」どんな不幸も「仕方がない」で片づけ、前向きに対応する努力を一切しなかった彼女に正義は実現できなかった。ただ、彼女がそれをやろうと思えば、その道は常に開かれており、忠告する私もいたし、それを実現する権力も持っていた。なかったのは、それを可能だと信じる心のみであり、それが彼女に唯一欠けていたものだった。

 
この話を現実に適用する時の注意点

  • この話の中で現実を直視しろと書いたが、勘違いして欲しくないのは、今すぐ脱原発は理想ではなく、日本の総発電出力(1億9000万キロワット+企業の自家発電6000万キロワット)から言って現実論(日本のピーク需要は1億8000万キロワット)として正しいし、自然エネルギー買取り法案は理想ではなく、脱原発をし、自然エネルギーに移行するのには、絶対必要な事。ただ、それが官僚とマスコミが結託して、そして、官僚の見え透いた嘘に騙されるバカな政治家が組み合わさって、現実が現実でないかのように扱われているのは、おかしい。官僚の嘘は、官僚の自己保身の為の夢想であって現実ではない。それが見抜けないのは、政治家の勉強不足。

 

  • 重要なのは、現実を見るという事、現実的には発電出力を計算すれば、必要な出力が十分ある。だから、今すぐ全原発を停止する事が出来る。それを非現実的という人は、本当の現実を見ていない。また、日本の原発の老朽化は酷いもので、普通の国では20年で原子炉を交換するのに20年以上使っている原発が日本には沢山ある。その老朽化して脆くなった原発地震が増え始めてグラグラ揺らすわけだ。そういう昨今の日本の状況から勘案すると、脱原発こそが最も現実的な行動なのだ。ただでさえ、地震が多く、その上、老朽化した危険な原発をあんなずさんで無能な連中に管理できると考えるのは、非現実的である。だが日本は困った事に、そういう無能者の言う事を信じ、嘘を信じてしまう夢想主義者ほど、現実主義者に向かって、「脱原発は夢想だ。非現実的だ」と言ってしまっている。それがおかしい。正しい情報が伝わっていない事による弊害だ。間違った情報をあれほど流して、どうして犯罪にならないのか、疑問に思う。