SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

言う人間によって変わるアイディアの価値

今日、西條という人が自分と同じような流線形のマンションを提案している記事を読んだ。う〜ん西條氏が書くと目立つのに、自分が書くと、こうも注目を浴びないのは何が違うのだろうかと思った。(あの圧倒的な津波を見ると、どうも皆、考える事は一緒らしい)

自分の記事 :津波に負けない町を考えてみた(当blog:3月30日の記事)

http://d.hatena.ne.jp/skymouse/20110330/1301458733
 
西條氏の記事:絶望と希望:南三陸町のレポート(早稲田大学大学院専任講師 西條剛央
http://getnews.jp/archives/108425

感想とかもちゃんと来て「いいなぁ〜」と思ってしまった。アイディア思いついても、全然感想がなかったりすると、これも多分、いいとは思うんだけど、「全然、感想ないな〜ガッカリだ」と思っていると、他の人が、自分と同じアイディアを言うと、そっちの方には、ちゃんと感想が来たりする。なんだろな〜この違いはと思ってしまう。

知名度の違いだって事はわかるんだけど、「彼よりぼくは早く思いついてんのにな〜」と思ってしまう。流線形の建物なんて誰でも思いつくから偉そうな事いえないんだけど、正直釈然としないというか、子どもの頃、自分が提案するとダメで、それを別の人が言うと、素晴らしいと言われて通ったりする。そういう事を思い出して、あの頃、何がどう違ったんだろう。アイディアそのものは同じなのに...いう人間によって扱いが違うって何が違うんだろうと思う。

確かにね。美人が喋るのと、ブスが喋るのとでは、やっぱ違うのですよ。それは認める。と言う事は自分はぶすってこと、でも、文章にブスってあるのか?なぞと考えてしまう。美人かぶすかというのではなくて、表現力じゃないかとも思う。例えば西條氏の記事を読むと、震災の現地に行って、その生々しい体験談から出てくるアイディアってのは、表現力というかストーリーがあるんだよね。でも、自分の場合は、津波の映像を見て、理詰めで説明している。多分、わたしが西條氏に負けた理由は、知名度もさりながら、理論の私がリアルストーリーの西條氏に負けたのだと感じる。

同じ帰結であっても、その過程の表現力の差で説得力が変わるという事か...そう思った。導入部分が違うね。ある意味、面白い映画とつまんない映画の違い位、違うのかもしれない。いい映画はオープニングの導入部分からして面白そうだと感じるもの。自分は、そういうオープニングとか何もない。ストーリーすらない、合理的に理詰めの思考過程を数学の式のように積み上げて、これが正しいという。でも、それじゃ何も心を動かさないんだよな。方程式と映画くらい違う。やっぱ皆、方程式より、映画の方がいいよね。

人間って、頭で動かない心で動く、アイディアを考えるのは頭だけでいい、だが、それを実行するとなったら心を動かさないといけない。自分にはそれが難しい。考える時に必要な思想と、心を動かす思想は違うから。