SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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「俺は偉いんだ」という甘さ

天才の義父と話していた頃、「俺は偉いんだ」と思う事が無意味に感じた。というのは、圧倒的に偉い人間の前では、自分がいかに愚かか、惨めなほどバカかという事を思い知らされるわけである。というわけで、自分が偉いと思う根拠が明確でないと、私は非常に不安になるのは、天才という竜の前にいたからである。竜を前に人は恐れおののくように、天才に対して凡人はビビるのだ。圧倒的な差というものは、竜のように勢いがあり、その勢いゆえに恐いのである。(3.11の津波が勢いよく陸地に襲いかかる写真を見た時、まるで竜が暴れているように見えた。その恐い写真のイメージと義父のイメージが重なった。義父が死んでから久しぶりに義父の存在を、あの写真から感じた。天才の正しさって津波に似ている)
 
よって、根拠もなく自分が偉いと思う事がいかに危険な事かという事を私は身につまされるほど知っている。よって、可能性の基準も、現実的視点に基づいたものとなっている。例えば、実績、その実績が何故生まれるかという根拠も含めて理解した上で正しいと思うものを選別する。それでもやはり心配なので、時々、検証の為に再度、調べたりする。それが私のリサーチである。
 
実測値である程度の実績が出ているものを根拠もなく否定するのは、逆の意味で夢想的である。つまり、現実を否定しているのである。時折、人は感情に駆られてそういう事をする事がある。でも、わたしに言わせると、その感性は甘いのである。天才を前にしていると、そういう根拠のない、ひ弱な自尊心は粉々に砕け散るのである。よって、徒労に終わる無駄な抵抗などは、私は最初からしない。負けは負けと早々に認め、正しい方につく。それがわたしのやり方である。自分が無能だという事を自覚しているからこそ、そういう発想になるのである。
 
結局正しい事というのは覆せない。だから、時間が経つと将棋が摘んだように正しい帰結に収束する。この収束する過程で自分の過ちも露呈するのは明らかなので、無駄な抵抗など私は最初からしない。己が間違っていると思った時点で考えを変えるのだ。自分よりも偉い人間はごまんといるのだから、自分が間違っていても何らおかしくない。むしろ、自分が常に正しいと考える事の方がおかしい。結局そういう正しさを早く認める事が、最も良い結果を導くのである。下手なプライドなど、自分よりも遥かに有能な人間がいると思えば、捨てるのは惜しくない。なぜなら、惜しいと思うほど価値のあるものではないと分かっているからだ。鉄屑よりもダイアモンドを知っていれば、ダイアモンドの方がいい。鉄屑しかないと思うから、鉄屑に固執する。しかし、私は天才というダイアモンドを知っているから、自分という鉄屑をいつでも捨てられる。正しさとは、そういう間違ったものをいかに素早く捨てるかという事である。凡人の正しさというのは、そういうものだと思う。