SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

反省とは何か?

反省について考えてみた。なぜ反省なのかというと、成長には反省が不可欠だからだ。そこで反省しない人がどういう人だったか思い起こしてみた。彼らは問題に真正面から取り組まないで逃げてばかりいる。そういう人が権力を持っていると、人を黙らせるだけで、問題に真正面から取り組まない。故に全然、人間として成長しない。反省がないから改善もなく、それ故、成長しない。つまり、反省とは問題に真正面から取り組む姿勢から生まれるものであり、解決しようという意識があるからこそ、反省するのだ。解決しないで結論を先送りをしている人間は反省せず、それ故に成長しない。
 
思えば、バブル後の日本というのは、この逃げ腰体質そのものではないかと思う。問題が起こると、いつも根本的な解決を避けて、先送りしてしまう。その結果、成果が出ず、閉塞状態になる。逃げ腰の人間には反省がない。よく、そういう先送りの時に「現実的」という言葉が使われるが、あれは違うな、正確には「逃げ腰的」というべきだな。単なる「逃げ腰」を「現実」と捉えてしまうところに反省のない日本社会があるように思えてならない。
 
反省しないものは何十年生きていても成長しない。日本社会も反省しない限り、失われた時代が何十年でも続くであろう。しかし、問題から逃げず、真正面から取り組み、悪いところは率直に認め、反省する姿勢があるのならば、この閉塞状態から抜け出すことも可能なのではないかと思う。真正面から取り組めば、何を治すべきか、ハッキリ見えてくる。しかし、抜本的な解決をしようとすると、総論賛成各論反対となる。そういう時に生じる軋轢を避ける事を安易に現実的と考え、単なる「逃げ腰」に「現実」という称号を与えてはいけない。それは「現実」ではなく、「現実逃避」であり、反省をしない傲慢な姿勢でしかない。そして、その傲慢さこそが日本をダメにしているのだ。
 
反省というのは、謙虚な姿勢、己を変えようとしないのは、どこかで己が正しいと信じているから、しかし、現実を眺めれば、それは違うという事は明白、その現実を直視するところに反省があるのならば、その現実を見ようとせず、己を変えようとしないのは傲慢といえるだろう。