SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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成長とは挑戦である

成長について考えていると、成長しない状況の逆ではないかと考えてみると、見えてくるものがある。成長しないというのは、同じ事を何も考えずにやっている。改善をせず、ただ、過去との惰性に基づいて行動している。そういう行動は、何年やっていても同じであり、成長しない。あるいは、その行動が正しいと信じて疑いを持たない事。
 
成長とは、この逆の事である。同じ事であっても、何か変えられる事があるはずだと考え、改善していく姿、それが成長なのだ。従来からあるものを正しいとせずに、常に疑いをもっている。その疑いの源泉は、高い理想である。高い理想と比べれば、現状が改善箇所の多い欠陥品だと分かる。
 
赤ん坊を見るとよく分かるが、赤ん坊の行動は挑戦の連続である。赤ん坊は何でも口にいれる。それは、自分の目にした事のないもので手に取れるものはまず口にいれるという極めて挑戦的な暴挙を行う点から見て明らかだ。結果として、赤ん坊は成長する。それは、純粋で無知という挑戦者だからである。ハイハイだってそうだ。まず、興味のあるものが目の前にある。これが一般的な理想だとしよう。赤ん坊は、その興味のあるもの(理想)に向かって、とにかく手と足を全力で使って、そこへ向かおうとする。何回もそういう事を繰り返す過程で二速歩行を会得する。もし、興味のあるものがなければ、成長はない。だが無知な赤ん坊にとってあらゆるものは、興味の対象なのである。そこへ向かう為に、果敢に挑戦する彼らは成長する。
 
人間は大人になる過程で、無知でなくなるか、あるいは無知であっても、自分が無知だと自覚しなくなる。その結果、物事への興味を失い、挑戦しなくなり、それ故に成長しなくなるのだ。貧しかった日本が成長したのは、豊かになりたいという願望が強く、その願望が挑戦する動機になり、それが故に成長した。
 
「挑戦なきところに成長はなし」つまり、挑戦とは、行動の多様性を生む事なのだ。そこから優れたものが進化していく事で成長する。生物の進化に似ている。生物は、オスとメスが別れ、個々に違ったDNAを掛け合わせるという挑戦行為をしているからこそ、進化する。近親交配では、だんだん劣化していく、日本社会の停滞ムードは、この意識の近親交配が行われているのではないかと感じる。行動の多様性を生むのは、その元となる意識の多様性がないといけない。
 
意識の多様性とは、KYという言葉に代表されるような意識の近親交配状態とは対極にある価値観ではなくてはいけない。「朱に交われば赤くなる」とか「寄らば大樹の影」と言って、個々の意識の近親交配を避けていた時代は、日本は経済成長できていたと感じる。しかし、KYのような、非常にモノカルチャー的な発想が恥ずかしげもなく、もてはやされている現状こそ、日本停滞の原因ではないかと自分は思う。正直、そういう言葉は私は気持ち悪い。確かに場の空気を読む事もまた必要な事があるが、それはTPOのレベルの話でしかなく、一般的な価値観のレベルまで持ってくるべきものではない。あくまでも礼儀作法の一環程度に見るのが妥当だ。なぜなら、やりすぎると、多様性を排除するモノカルチャー的な思想に発展する危険な思想だからだ。つまり、停滞の原因を作る。
 
成長とは、挑戦である。挑戦が多様性を生み、多様性が進化を生む。挑戦が現実とぶつかる過程で多くの失敗作が生まれ、その中で成功した僅かなものが次世代の成長の原動力になる。故に、その挑戦を否定するモノカルチャー的価値観を排除し、挑戦を肯定することこそ、成長への一歩といえるのではないかと、私は考えている。それを実現するのは難しいのだが、理屈の上でそうであるし、過去を分析した現実としても、そうであるのだ。
 
戦う事も、ある意味、挑戦である。事なかれ主義は、挑戦しないから成長しない。
従来の価値観を疑う事も挑戦である。赤ん坊は挑戦し続けている。彼らは基本ゼロだから。
自分はダメだと思って挑戦しない事こそダメだ。成長しない。
 
成長とは発明に似ている。99%の失敗の中から1%の成功が生まれるように、99%の挑戦の中から、1%の成長因子が生まれる。故に頑張っても(99%)ダメなのは、普通の事であり、重要なのは、最終的に成長因子になるであろう1%を見つけるまで果敢に挑戦し続ける事にあるのかもしれない。ジョブスも失敗する人は諦める人、成功する人は諦めない人と言っていた。諦めないで果敢に挑戦し続ける事が成長ならば、停滞とは絶望し諦める事と言えるのかもしれない。