SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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決断できないのは、責任をとろうとしないからだ。

考えない社会、思考しないとは、どういうことなのか考えてみた。考える事は、責任が生じる。考えて何かを決断するとは、何かを捨て、何かを得ようとする事であり、それは捨てるものへの責任が生じる。日本社会は、この責任を過重に追求する傾向があると思う。まるで全員が責任を逃れたいので、言い出しっぺに全責任をなすりつけようとするかのように、決断したものに対する責任は重い。それが民主的プロセスを経て、皆が賛成したものであり、連帯責任が生じる場合であってもだ。
 
人と公平に接する事が出来ず、ただ、責任逃れを必死にやるのは、保身の度が過ぎていてみっともない。そういう考え方を蔑むような意識を私たちは取り戻さなければいけない。そうでないと何も前に進まない。決断する人が1人もいなくなる。私が子供の頃、ガキ大将がいたが、ガキ大将は、周りの年長さんの補佐によって守られていた。独裁者ではなかった。そして、場合によっては、補佐役とガキ大将が連帯責任をもって対応する事もあった。リーダーは独裁者ではなく、補佐役の援助と連携していた。それが健全な組織だ。
 
今の社会は、皆が責任から逃れようと必死で、ガキ大将の頃の子供グループ以下に成り下がっている。皆で責任を分担し、公平に他者と接する文化を取り戻さなければ、日本に明日はないと思う。