SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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悪という名の麻薬

悪事をしている人を見ていて思うのは、その悪事によって己を支え、生きているという事だ。これは麻薬に似ている。麻薬は脳に破壊的なダメージを与える。つまり、悪だが、中毒になると食欲に匹敵する欲望が生じ、それがないと生きていけなくなる。
 
悪とは依存性の強い麻薬なのだ。偽善もその傾向がある。奇麗事を述べる事で自分は気持ちよくなる。つまり、麻薬だ。だが、その裏では、実質の伴わない正義によって弱者が犠牲になる。つまり、悪と言える。実質的には悪そのものだが、感覚的には善、それが偽善なのだ。感覚と現実とのギャップが大きさが、被害を長期化させ、破壊性を高める。
 
この悪という名の麻薬から抜け出すのは難しい。それがなくても生きて行けるという他の選択肢が示せればいいのだが、大抵はそういうものを見いだすのが難しい。依存性の病を治す手段は、意識を分散する事にある。パチンコ依存症の人には、パチンコ以外に沢山の趣味を覚える事で、依存性をなくしていく。「それがないとダメ」→「それがなくても、あれもこれもある」という状態にしていくのが治療法なのだが、問題が大きいと、あれもこれもあるという事が提示するのが難しくなっていくので大変だ。
 
私が偽善や麻薬に手を出さないのは、それをやると、大きな犠牲を払う事を知っているからである。例え知っていても、やってしまう人もいるだろうが、結果としてより苦しい事になると考えれば、やる事がバカらしくなるのだ。これが自分の帰結的正義。最終結果を想定すれば、一時的に気持ちよくなっても最後には絶望が待っているとなれば、それはやらない。酒も同じ、二日酔いになるまで飲むと後で苦しい思いをする事になる。だから、そんな事は最初からしない。
 
この種の帰結を展開する時、注意しなければいけないのは、未来についてそういう事をしてはいけない事。未来はだれにも分からないので、自分はダメだと決めつけて、帰結論で勝手に絶望し、何もしなくなるのはよくない。私が言っている帰結は、ある行為の帰結が明確に分かる事。酒を飲みすぎれば二日酔い、麻薬に手を出せば中毒で絶望の縁に落とされる、偽善を行えば弱者が犠牲になる。そういう行為とその帰結が明らかな場合、それをやるのは馬鹿げているという話。悪事も同じ、悪事をする事によって犠牲になるものの帰結が分かっているならばしない。だけど、帰結がハッキリしないもの、努力をすれば出来るかもしれない事や、今は出来ないけど将来できるかもしれない事、そういう事は帰結を設定せずに頑張るべきだと思う。
 
悪という名の中毒患者は世の中にごまんといる。悪を治す医者が専門的に必要かもしれない。悪という病を研究する価値はあると思う。この病は、人の心や社会システムに至るまで広く存在する。