SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

必然と納得

人を納得させる為には、文章の中にどう必然性を折り込めるかで決まってくる。単にリアルなだけでは、必然とは言えない。むしろ、人が必然性を感じるのは、リアルと言うよりも、それがリアルだと感じたり、それが自分にとって都合がいいと感じる事であって、リアルそのものではない。
 
正確に言うと、本当にリアルなものを信じるのではなく、リアルだと感じるものを信じるのである。例えば、コミックのDEATH NOTEのアルタのLの登場シーンは、とても面白い演出なのだが、あのくらいの推理は警察であれば簡単にできてしまうのである。しかし、群衆が驚き、どよめく様子や、警察幹部達の驚きなどが描かれる事で、それがLの天才的な推理によるものだと「感じる」のだ。
 
演出が人工的に必然性を生み、それが納得を生むのである。むしろ、リアルであっても信じてもらえない事が多いほどだ。つまり、必然には2種類があって、本当の必然と、必然と感じる架空のものとがある。必要とあれば、現実を演出して、必然として納得してもらう事すらあるのだ。プレゼンなどはその典型である。
 
人が納得するパターンは、その感じ方に影響を受ける。冒頭で紹介したDEATH NOTEのシーンでは、群衆や専門家がLが凄いと感じているが、読んでいる人間も凄いと感じる。現実は凄くない。でも、凄いと感じる他者がいる事が演出される事で、連動して、凄いと感じるのだ。他人と連動する群衆心理を上手く利用した演出だ。そういう心理を上手く活用して、疑似的に必然性を生じさせて、納得してもらう。
 
このような分析をしても、私は人を納得させるのが下手であったり、推理がありきたりであってもアルタのシーンでLって頭いい〜と感じてしまうあたり、人には理性よりも先に自然に「感じてしまう」ところがあるようで、この感覚をどう制するかが広告の使命と言っても過言ではないのだが、これが行き過ぎると、扇動行為になるため、非常にこのタイプの事に対しては私は悲観的なのである。物語を書く時には、別に構わないと思うが、現実にある事を主張する時にそういう事を書くのはマズいかもと躊躇してしまう。
 
演出の限界は、それが真実ではない事であり、演出のみでは物事は形作られないのである。演出はきっかけに利用するのはいいが、それ以上の事にはならない。演出で多数決を得て、現実を動かす事が一時的にできても、それを実体化できなければ、長続きしない。そういう意味では、演出から生み出された必然は花火のように儚い。ただ、人は中身のある事を必然だと感じる事も少ないので、現実は常に演出された虚構の上で形作られる。虚構に過ぎないので長続きしない。正しくもないので効果がない。一つ前の嘘を見破る前に、また新しい嘘が芽生えて、それにのっていく、それが20年間繰り返されて、日本は未だに沈んだままのようにも感じる。
 
日本はいつまで、演出された必然の中にいるのか?そう感じる事がある。この悪い夢から醒める事はあるのかと思う。日本のテレビ局は、広告と報道を混同して情報を流している。広告の手法で報道をするのは間違いだ。すぐやめるべき。報道は広告ではない。扇動的なキャッチやBGMで「演出」するのではなく、池上彰さんのような鋭い質問や分析で視聴者を獲得するべき。池上彰さんは知性が視聴率を稼げるという事を証明した。そろそろ、テレビ局も演出ではなく理性で報道するべきだ。その方が社会にとってもテレビ局にとってもいいと思うのだが...
 

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