SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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「簡単」は難しい

人は自分の見ているものによって判断する。あるものは目先の事、あるものは遠い先の事、あるものはお金の事、あるものは自分の事、あるものは他人の事と、色々な心の目があり、その目の置き所は異なっている。故に皆、意見が違う。
 
意見の集約を計る為には、それぞれの視座の違いを調整する事もさりながら、お互いに見ているものを共通化する作業も必要になってくる。目先の事や自分の事を考えている人には、先の事や他人の事に目を向けさせ、その上で、意見を述べる。そうしないと一向に話がまとまらない。
 
自分が当たり前だと思っている視点が他人が当たり前に見ているとは限らない。例えば、義父もそうだった。彼は天才だったが、同時に自分の才能を標準化して他人を見てしまうところがあった。よく、天然ボケと言う言葉があるが、私は天才ボケというのもあると思う。よく、そういう義父について私は凡人の限界を述べたものだ。普通はそんなことは出来ないと...これは天才のみならず、才能や能力のある人間にも同様の事が言える。そういう意味では才能ボケという言葉もあっていいと思う。
 
人は自分の持っているもので物事を標準化する。なぜなら、それが自分にとって自然であり、都合がいいからなのだが、現実は、そんなに甘くない。自分の頭で自動的にできている事が他人が同様にできるとは限らないので、それに配慮する為に四苦八苦する。
 
文章一つ書くにも、詳細な資料で全体が網羅できる客観的な資料を書くと、分からないと言われる。なぜなら、統計データはイメージしにくく、文章には明確な結論がない。明確な結論がないのは、それ以上の結論を書くと、確定できる情報のなさから客観的ではなく主観的な文章になってしまう為だ。また、統計データと文章の関係が間接的だったりするとまず理解されない。間接的なのは、状況によって変化する断言できない要素を自分の頭で考える為にあるのだが、この頭で考える要素がネックらしい。つまり、それを簡単にしろというのは、断言できない事を断言しろと言う事であったり、可能性の中から一つを選び、それを明示しろという事であったりする。これらに答えようとすると、結果的に意見に偏りが生じてしまう。
 
つまり、簡単にしようとすると、文章が偏りやすいのだ。現実の可能性を平等に表現しようとすると、多面的な答えを解釈できる資料的内容が望まれるのだが、そういう内容は直接的な内容ではなくなる。サンデル先生はそこを分かりやすい比喩に直して説明するので分かりやすいが、私にはその比喩を考える事が難しい。
 
だから、うんうん唸りながら簡単な文章と言うのを書いているが、非常に難しいのでこう思う。内容を壊さず「簡単」にするというのは非常に難しい。簡単は読む方にとっては楽かもしれないが書く方にとっては非常に難しい。
 
テレビでドゴールとチャーチルという戦争ドラマでドゴールがフランス国民に向けてメッセージの草案を書く時、チャーチルに言われた言葉「誠実さは美徳だが、道理を弁える事はもっと美しい」という。例え多少、偽りになろうとも道理(限界)を弁えろと言う事なのかもしれない。