SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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知識にドライブされない

知識を無批判に受け入れると、知識が意識を乗っ取るようになる。経済学者と言う連中がその典型で、連中の行動パターンは、小学生の頃の私と同じである。私は小学生の頃にその問題点に気づいたので、経済学者と言う連中は、小学生の時の私以下とも言える。
 
何が問題なのかと言うと、知識と現実の差違を観察していくと、知識の枠でくくれない現実と言うのが結構ある。そこを素直に認めていくと、現実に対して謙虚に向き合えるのだが、知識を無批判に受け入れると、理論通りにならない現実を、現実が良くないとアベコベな事を言い出す連中が生まれる。
 
彼らの言動を聞いていて、私は幼稚だとさえ思う。大の大人がそんな幼稚で単純な発想が出来てしまう事が私には異常に映るのだが、彼らはいたって真剣であるばかりか、そういう理論を介しない人間をバカにさえしている。彼らの問題点は、現実を理論の枠内で考えて、非常に単純化してしまうところにある。しかし、現実は単純ではなく複雑であると言う事は、まじめに現実を観察していればすぐ分かるのだが、理論で凝り固まった彼らの目にはそれが見えない。
 
子供の頃、気づいたのは、理屈によって柔軟性を失っている自分の発想と、それに比べて現実がダイナミックでワイドな事だった。同時にそれを解釈するのは、とても困難である事も分かった。まるで動いている対象を銃で打つような心境とも言える。状況は常に動いており、理論が前提とする状況とは一致しない事が多い。また、複数の要素がからみ合わさると、一つの理屈では解釈できず、複数の理屈が必要となり、それは、とても簡単に分析できる内容ではなくなる事も分かる。しかも、自分の手元にある情報も断片的で全てを網羅するものでもないため、正確な予測は基本的に無理だと分かる。分かるのは、長期的な趨勢くらい。長期的な要素は、それを動かす最大要素をウォッチしていれば捕捉可能なので、予測可能だ。
 
私の予測は、その正確に予測できる最大要素の捕捉と、最終的には最もシンプルで効率の良いものに収束すると言う自然の法則に基づいて判断される。しかし、理屈で断片的にそういう事の一部をアンバランスに解釈すると、多分100%間違える事は、私の経験則では当たり前なのだが、彼らは自分が間違えても、理論ではなく現実が悪いと、自分の無能さを現実のせいにしてしまうため一向に反省せず、成長しない。つまり、いつまでたっても幼稚な発想なままなのだ。
 
知識にドライブされないと言う事は、現実と理論の差違に気づき、それを理解するのが困難である事を悟る事、そして、同時に自分に出来る事の範囲内で物事を解釈する謙虚さを持つ事である。そして、己が間違ったら、それは自分の間違いと素直に認め、現実が間違っているなどと現実のせいにしない事である。
 
経済学者に一言、「現実がバカなのではなく、お前がバカなんだ」と言ってやろう。オレのオヤジ風に言うとそんな感じ。
 
オレが日経新聞読んでいると言うと、オヤジは「お前は日経読んでいるのか、じゃぁこれを見れば全部分かるだろ」「へ?!」とオレが応えると「この国の経済の数字が全部あるだろ、これを見れば全部分かるじゃねぇか」と言ってきたので、「オレはオヤジと違って天才じゃないから、そんなことわからねぇよ」と言った。凡人の視点では、膨大な数字は処理不能なデータである。しかし、天才のオヤジだと、処理可能なデータのようだ。まぁ現実を分析できると言うのならば、天才くらいのインテリジェンスを持っていて欲しいものだ。現実とは凡人には処理不能なデータであり、それはコンピューターでは解釈できない。なぜなら、コンピューターは人間の感情は理解できないから、そうなると、人間の心と膨大なデータの趨勢を同時に統一して解釈できる天才くらいのインテリジェンスがなければダメなんだと思う。人をバカにするくらいならば、それくらいのインテリジェンスが欲しいな。