SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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机上の空論

机上の空論、現実的な中身のない意見の事。机上の空論がなぜ生まれるのかと言うと、現実と理論の乖離を認める事に不安が生じるからである。物事が理論通りに進んでいれば、何事も予測可能になり楽なのだが、現実は大抵、複数の要素が融合しており、そのカオス状態を論理的に説明する事は困難を極める。学者はそれを分析し、体系化する事が仕事だが、現実に生きる私たちは、探求ではなく、次に何が起きるか正確に知る事が重要であり、理屈をこねるよりも結果が欲しいのだ。
 
学者と現実に生きる殆どの人とは立場が異なる。探求し、そこに意味を見いだすのが学者ならば、利用できるものは利用し利益を追求するのが現実と言えるだろう。それは理論であろうと直感だろうと、結果が出れば、それでOK。
 
理論の通りに動いていれば、理論が正しく、直感の通りの動いていれば直感が正しい。その流れは、現実の観察から分かる事、現実を観察する事を怠り、理屈をこねているだけでは「まだまだだね」(テニスの王子様風)と言ってやろう。直感はたゆまぬ観察から生まれる。よく観察する努力。その努力を怠る者には現実は分からない。
 
論理的整合性が重要と思うのは、体系化する為に重要なのだが、体系化できない、または困難な状況も現実にはある。例えば、女性の感情を論理的整合性をもって説明せよと言う質問がいかにナンセンスか分かるだろう。でも、しかし、その女性のニーズを掴むには、やはり観察だろう。会話の中で何によく反応したか、表情、目の動き、あらゆる要素を観察し、そこから興味のある対象と傾向、考え方などを読み取る。でも、それを体系化できるかと言うと、個々の状況によって異なる為、体系化そのものが難しい。観察して流れを読み取る以外にないと言うところがある。
 
感情で動いていれば、感情が正しく、理論で動いていれば理論が正しい。現実のあるがままを認め、その流れの中で自分にとって最善を読み取っていく、それが現実的と言うのだ。現実と理論が違っている時は素直に理論を否定できる柔軟性が、現実的とも言える。