SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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戦争の大義とテロの本質

松田聖子のピンクのモーツアルトの歌詞を聞いていて、戦争の大義について考えてしまった。注目した歌詞は以下のもの
 
 Gameならばルール決めましょ
 傷ついても傷つけても
 うらみっこなしよ
 
Gameの部分を戦争に直すと...
 
 戦争ならばルール(戦争をする理由:大義)決めましょ
 傷ついても傷つけても
 うらみっこなしよ
 
...という事になる。戦争では多くものが無意味に犠牲になる。あまりにも得るものがなく、犠牲ばかりが多いので、そこに恨み辛みが生じるのは必定。しかし、そこに僅かでも理由や意味があった事にする事で、恨み辛みを引きずらず、復讐の応酬を防ぐ。つまり、戦争に大義が必要なのは、戦争の本質が無意味だから、その無意味なものに僅かでも理由を設定しておかないと、傷ついた心が、他のものを傷つける事になる。世界で展開されているテロ行為の多くは、そういう恨みが、その根源にある。911は、米ソ冷戦の際のアフガン戦争の恨みが生み出したものだ。充分な大義のない戦争は、その代償としてテロを生む。そういう意味では、パパブッシュの時のイラク戦争には充分な大義があった。フセインがクェートに進攻した事をアメリカは断固として許さなかった。この時、充分な大義があったのだから、アメリカがフセインを殺してもイスラム諸国は文句を言わなかったと思う。ちゃんとした理由があれば、恨み辛みを引きずらず、結果としてテロも小規模に収まる。問題は理不尽な暴力、強大な力を持つアメリカが、理不尽な武力行使をしたら、敵対している小国は恐ろしくてたまらない。アメリカに必要なのは、暴力ではなく、大儀に基づいた品格なのだ。パパブッシュは途中までは正しい判断をしたが、最後の爪が甘かった。サッチャーは殺せと力説していたと言うから、サッチャーは正しい判断をしていたと言えるだろう。
 
大義があれば、断固として力の行使を行う。しかし、それがない時は、断固として武力行使をしない。それが力を持つものの品格だ。その品格があってこそ、テロを防げる。